アシロ

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 ······私には、好きな人が居る。相手はとても仲良くしているクラスの友人で、学校へ行けば必ず話はするし、昼休憩も毎日一緒にお弁当を食べているし、帰りもお互いよほどの用事でもない限りは途中まで一緒に帰宅するし、たまに寄り道したりもする。だから、万が一にも、億が一にも、「嫌われている」ということはない。むしろ、ここまで仲が良いのならもはや付き合っているも同然なのでは? と思う人も居るかもしれない。しかし、私達は事実付き合ってなどいないし、れっきとした私の“片想い”であり、友人以上でもそれ以下でもない。なんせ、私達の間にはそう簡単に恋が報われることなどないような見えない大きな壁が聳え立っている。······それは、「性別の壁」だ。
 あろうことか、私は同性に恋をしてしまった。それも、常日頃から一緒につるんでいる友人に、だ。その気持ちを自覚してしまった時、私は大いに悩みはしたものの、この気持ちは一生誰にも話さず、勿論本人にも告げず、墓まで持っていくと決意した。
 だってこんなこと、言えるわけがない。伝えられるわけがない。ずっとただの友人だと思っていた女から恋愛感情を含んだ「好き」を伝えられて、素直に諸手を挙げて喜ぶ女が果たしてこの世界にどれだけの数居るというのか。絶対に困惑させてしまう。絶対に困らせてしまう。私がたった一言その言葉を伝えただけで、これまで二人で過ごしてきた思い出は全てあっけなく跡形もなく破壊され、それまでと同様に何も無かったように過ごしていくことなど出来やしないのだ。こんな気持ちを抱いてしまったがために、二人ともがお互いに気の合う友人を一人失うことになる。悪いことだらけじゃないか。だったら私はこんな気持ちなどクッキー生地みたいに潰して潰して心の中に押し殺し、今まで通り友人として共に過ごすことを選択する。好き好んで、私達の関係を悪戯に悪い方向へ向かわせたくなどない。
 ······そう思い、決断したはずだったのに。心に蓋をし、クッキー生地がそれ以上膨らまないように全体重をかけて押し潰していたはずなのに。それでも厄介なことに、健闘むなしく、それは彼女と共に過ごす時間に比例するようにしてジワジワ、ジワジワと膨らんでいった。膨らんでしまったそれをどう処理すればいいのか、私には全くわからなかった。「伝えたい」気持ちと「伝えたくない」気持ちが毎日毎日飽きもせず押し問答を繰り返し、あっちに傾き、こっちに傾き。私の心はいつの間に天秤の形へと変貌を遂げたのだろう?
 そうして私は······一つ、苦肉の策を思いついた。ある日の夜、私は珍しく真剣な顔で勉強机に腰掛け、ペンを握っていた。目の前には教科書とノート······が置いてあるはずもなく、代わりに一枚の可愛らしい便箋が鎮座している。薄いピンク色をした紙面の右下に、ハートのマークが一つ描かれているだけのシンプルな便箋。ふぅー······と一つ深呼吸をし、私は手にしていたペンで文字をしたためていく。一つ一つ、ありったけの気持ちを込めながら。相手の顔を思い浮かべ、どんどんと溢れ出てくる「好き」という気持ちを、心の赴くままに書き連ねていった。
 最後に自分の名前を添え、ペンを机の上に置く。完成したそれは、世間一般的に「ラブレター」と呼ばれるものに相違なかった。重ねて言うが、本人に伝えるつもりは毛頭ない。だから、この手紙を本人に渡すつもりだってない。でも、心に蓄積されすぎた「好き」があまりにも膨大すぎて、今すぐにでも何かしらの手段で外に吐き出さないと気が狂いそうだった。とにかく、自分の心を一旦落ち着かせたかったのだ。そのために書かれたのが、この渡される予定などないラブレターもどきだ。渡す予定など微塵もないが、本当に塵クズほどもそんな予定などないが、一応便箋を二つ折りにし、レターセットに一緒に入っていた封筒へと丁寧に入れ、特に封をしたりなどはせず何となく通学カバンへとしまいこむ。ヨシ。······いや、何がヨシなんだ?
 多分、この時の私は頭のネジが何本か外れてしまっていたのだと思う。抱えきれない気持ちを吐き出すためにラブレターもどきを書いたところまではまぁ良いとして、それを通学カバンに入れる意味が何処にあったというのか? 残念ながら私がその疑問に辿り着いたのは、次の日の朝、登校するために自宅を出て暫く歩いているその道すがらであった。

 そう、私は歩きながら気付いてしまった。自分の今の想いの丈を全て赤裸々に綴ったと言っても過言ではないあのラブレターもどきを、私は昨日何処にしまった? 間違っても机の引き出しなんかに入れた覚えなどない。非常に残念なことに、ない。私はその場で立ち止まり、急いで通学カバンの中をガサゴソと漁る。そうして見つけてしまった。教科書やノート類の間に挟まっていた、例の特級呪物を。体から血の気が引いていくのを感じつつ、私はその封筒を引き抜き、両手に持って見つめる。いや、昨日の私は一体何を考えてこんなものを通学カバンに忍ばせたんだ。本人に伝える気なんてないってもう何十回も何百回も心に誓っただろうが。······多分、何も考えてなかったんだろうな。きっと脊髄がやらかしてしまったことに違いない。そうでなきゃ、こんな血迷った真似、正気の沙汰で出来るはずがない。······ああ、気が狂いかけてたんだから正気じゃなかったのか。
 遠い目をしながらそんなことを考えていると······突然、ブワアッ! と物凄い突風に晒された。咄嗟に制服のスカートを押さえようと動いた手から、封筒が、離れ······。
「ちょっ······!?」
 さっきまで私の手にあったはずの封筒が、風に攫われ宙を舞う。風の流れに逆らうことなく、私から遠ざかっていく。待て待て待て、あれが私の目の届かない所へ飛ばされてしまったら困る。大いに困る。相手の名前こそ記載しなかったものの、私の名前はしっかり便箋に書いてしまっているのだ。あんなものを何か間違って他人にでも見られようものなら、あまりの恥ずかしさと情けなさに自分で自分の墓穴を掘るしかなくなる。そんなの、恋する乙女の死活問題すぎる。
「待て、このっ······!」
 幸いにも突風はすぐに止み、手紙もそこまで遠くへ飛ばされたわけではなかった。少し距離はあるが、視界に入る範囲ではあるし、走って取りに行けばどうにか事なきを得るだろう。
 安堵し、胸を撫で下ろした私だったが、いざ取りに行こうと駆け出そうとしたところで、手紙が落ちている方向から人が歩いてくるのが見えた。あれ、そういえばここって······いつも帰り道にあの子と別れる地点では? そして、歩いてくる人影······私の見間違いじゃなければ、あれ、私がめちゃくちゃ見知ってる人物では?
 最悪の事態が頭の中を五倍速ぐらいの速さで再生されていくその途中で私の体は一直線に手紙に向かって駆け出していた。
 神様お願いしますもうこんな馬鹿な真似は二度としないのでお願いですから無事にあの手紙を私に回収させて下さいお願いしますお願いしますお願いします!!!!
 スポーツテストでも出したことがないようなスピードで私は手紙の元へとひたすらに駆ける。そうすると必然的に、前から歩いてくる人影も鮮明になってくるわけで······その人物がまさに私が想いを寄せる友人──美柑(みかん)だと確信し絶望すると共に、向こうも私を認識したらしく、手を上げ声を張り上げ、美柑は口を開いた。
「あれ!? 杏朱(あんず)じゃーん、おっはよー! てか何そんな走って······ん?」
 私へ向けられていたはずの視線がふと、下方へ下がるのを私は見た。まずい、と直感が告げる。私よりはのんびりとしたスピードで、美柑は小走りにこちらの方向へ駆けてきて······そして、コンクリートに落ちている手紙の前で、しゃがんだ。
「何これ? 手紙? 誰か落とし······」
「待ったぁぁぁあ!!!!」
 あと少し、というところで手紙を拾われてしまった私は、とにかく見られたくない!! というその一心で渾身の叫び声を上げる。封筒を手にした美柑は一瞬ポカンとした顔をしたが、私のあまりの必死さに瞬時に事の経緯をほぼ全て察したのだろう。ニヤリ、と悪魔みたいな表情でこちらを見、そして何の躊躇いもなく中身を出した。出しやがったのだ、この女は。
「嘘だろオイ!!!!」
 思わず悪態だってつきたくなる。ここまでの私の頑張りが全部パァだ。ついでに私のこの先の人生も全てパァだ。
 最後まで走りきる気力が一気に削り取られ、私はゼェハァと荒い呼吸を繰り返し酸素を肺に送りこみながら、美柑と手紙の元へ歩いていく。
 美柑はさっきの邪悪な顔とは打って変わって、真剣な面持ちで便箋に目を走らせていた。そうして私が漸く辿り着いた瞬間、「ねえ」と。
「な、何······? ていうか、何で勝手に人の手紙読むかなぁ!? ノンデリにもほどが」
「相手、誰?」
「はぁ?」
「だから、この相手、誰?」
 書いてないじゃん、宛名。そう問い質してくる美柑の顔は冗談を言っているようには思えず、声に揶揄いの色も含まれていなかった。
 ──相手? そんなの、一人に決まってんじゃん。
 どう頑張っても伝えることなど出来ない本音を心の中に吐き捨て、私は美柑から顔を逸らし、不貞腐れたような声で答える。
「······そんなの、誰だっていいじゃん。どうせ本人に渡すつもりもなかったやつだし」
「ふぅん」
 美柑はそう一言だけ告げ、便箋を折り目通りに二つ折りへと戻し、封筒の中へと入れ······そのまま、ごくごく自然にその封筒を自分の通学カバンへとしまった。
 ······ハ? あまりにも当然のように目の前で手紙奪われたんだけど? 何してんのコイツ??
「美柑さん?」
「ん?」
「何で、その······手紙、しまっちゃったのかな? 持ち主に返すって発想何処に置いてきた?」
「え? だって、相手の名前書いてなくて、んで受け取って読んだのあたしだよ? じゃあ、あたしが貰ってよくない?」
 何だそのトンデモ理論は。そんな「当たり前じゃん」みたいな顔でこっちを見るんじゃない。もう何処からツッコんだらいいのかわからない。これ以上私の心を掻き乱すな、もっと好きになっちゃうだろ。
「······別に美柑に渡したわけじゃないし。風に飛ばされてここに落ちたってだけだし」
 唇を尖らせ、形だけの文句を口にすれば。
「へぇ〜。じゃ、風のイタズラに感謝しよ〜っと」
 そんなことを宣いながらニヤニヤ笑ってやがるので。
 何も言えなくなった私はガシッと美柑の腕を掴み、真っ赤になっているであろう顔面を隠すようにして体を反転させて。
「ほら、バカ言ってないで早く学校行こ」
 可愛げのないぶっきらぼうな声音で話を逸らすことしか出来なかった。そして美柑の返答なんて聞かないまま、掴んだ腕をグイグイ引っ張り先導するようにして学校までの道を歩き出す。背後で小さく「ククッ」と笑いを噛み殺すような声が聞こえた気がしたけど聞かなかったこととする。
「あ〜〜〜、ウケる」
「よかったね」
「いやぁ〜、杏朱からラブレター貰っちゃったなぁ〜」
「あげてない」
「学校着いたらみんなに自慢しよっかな」
「マジでやめて」
 いつの間にか拘束から抜け出し私の隣で楽しそうに話す美柑と並び、そんな他愛ないいつもみたいな遣り取りを交わしながら登校する、そんな幸せすぎる朝だった。



◇◇◇◇◇◇
年末に「みかん」のお題で書かせて頂いた百合に再登場してもらいました。
「風のいたずら」で真っ先にミニスカートが捲れるラッキースケベ展開を想像したのは私だけじゃないはず。もうちょい捻りたかったのでこんなお話になりましたとさ。

1/17/2025, 7:41:28 PM