sairo

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木々の騒めく音に混じり、声が聞こえた気がした。

何かを乞うような、祈るような、嘆くような、叫ぶような。矛盾した感情が重なり合い、何故か胸が苦しくなる。
会いに行かなければ。
思わず立ち上がりかけた体は、けれども背後から伸びる手に制されそれ以上は動けず。そのまま両耳を塞がれれば、胸の苦しさも次第に感じられなくなっていく。

どれくらいの時間が過ぎたのか。
不意に手が離れ、遮断されていた音が帰ってくる。
あの声はもう聞こえなかった。

「大丈夫。アレはもう、現世に抜けたから」
「さっきのは、何?」

振り返り、耳を塞いだ彼に問う。
問われた彼は暫し逡巡し、迷いながらも口を開いた。

「変質してしまったモノ」

それが正しい表現なのか分からないけれど、と彼は笑う。

「今のアレの姿は人間が言い伝え、断じたモノ。夜鳴く声を恐れて、その声は病をもたらすと伝えて姿形すら決められた。無垢なアレはすべてを受け入れ、応じて…結果、元が何であったのかをアレ自身すら忘れ、壊れた」
「人が、変えた?」
「そう。今のアレは人間を病ませる声で鳴く、継ぎ接ぎの壊れた化生」

病をもたらす声。人が作り上げたそれら。
かつていた村の言い伝えを思い出す。目の前の雨の龍も変わってしまっているのだろうか。

「無垢で弱いモノほど、すべてに応え壊れていく。だから翠雨、俺達以外には応えてはいけないよ?」

優しく頭を撫でられる。引き寄せられ、幼い子供にするように背をとんとんと叩かれれば、意に反して瞼はゆっくりと閉じてしまう。

「アレの事はもう忘れて、眠るといい」
「でも…」

段々に落ちていく意識を必死で手繰り寄せる。
一つだけ、気になっていた事があった。

「あの、声。知ってる…気、が…」
「おやすみ、翠雨」

静かで優しい声音。
抗いきれず、眠りに落ちた。


「そうだね。アレの声は花の子から奪ったものだから、聞き覚えがあって当然か…それにしても、人間にすべて奪われたアレが奪ったのが声とは。何とも皮肉なものだな」

呟くその言葉を、答えを知る事がないままに。



20240601 『無垢』

6/1/2024, 2:23:55 PM