制服の襟を正し、靴を履いた足でとんとんと玄関の地面を叩く。通学鞄を手に取ってから、今日は授業変更があって地理の教科書が必要になっていたはず、と中を確認した。昨日の夜に鞄の中に入れたことは覚えているが、まあ念のためだ。「地理」の二文字が書かれた背表紙を確認して、がちゃりと玄関の扉を開けた。
「おはよう!!!!!」
「……うん、おはよう」
当たり前のようにそこに立っていた君の声は、寝起きの頭には少し刺激が強すぎる。玄関の鍵をかけてから、彼女と並んで歩き出した。
「それじゃ、今日はどこに行こうか」
「どう考えても学校でしょ」
【週五回の「どこに行こうか」】
「えー、昨日もそこだったじゃん」
「そりゃ火曜日だったからね」
「たまには違うとこ行こうよお」
「それは三日後の僕に言ってくれ」
ぶーぶー、と文句を言いながらも君が通学路から外れようとする様子はない。いつものことだ。
「いつも言ってるけど、毎日訊かなくていいよ。どうせ明日も学校だから、行き先」
「え~わかんないよ~。明日には気が変わってるかもしれないじゃん?」
「明日も気が変わらないと思うから、人は前日のうちに地理の教科書を鞄に入れたりするんだよ」
違う。本当はわかっている。彼女の言う通り、明日も気が変わらないなんて言い切れないこと。毎日当たり前に「学校に行こう」と思えるほど、正規品じみたつくりをしていないこと。だから、君が毎朝同じ質問をすること。他でもない僕自身が、一番理解している。
……それでも、毎朝「どこに行こうか」と君に訊かれるのは、もう嫌だ。
「……え待って、今日地理あったっけ」
「授業変更があるって言われてたじゃん」
「……み」
「見せないよ、隣の席でもないし」
「殺生な! 見せに来いよ私の席まで!」
「教科書見せるためだけに教卓の正面まで歩いて行ったら、目立つなんてもんじゃないでしょ」
「くそぅ……私の座席が教卓のド正面だったばかりに……」
「そういう問題じゃないけどね」
「どこに行こうか」と訊くことはあっても、君の方から「ここへ行こうよ」と言ってもらったことは、ない。僕が君の問いに学校ではない場所を答えれば君は迷わずついてきてくれるだろうが、君が昨日とは「気が変わっ」て学校ではない行き先を望んだら、僕はそれに気づけるだろうか。
「……ほら」
「え?」
「見せるのは無理だから、貸してあげる」
「でもそれだと、君が……」
「僕は隣の人に見せてもらうから」
「……」
「早く受け取ってよ。まあ、君が自分で隣の人に頼めるっていうのならいいけど……」
「わあっ無理無理、君以外の人に頼み事とか絶対無理っ!」
いつも、出会い頭の刺激が強すぎるあいさつに怯んでいるうちに先手を取られてしまうけれど、明日こそは僕が彼女に訊こう。
「どこに行きたい?」ではなく、「どこに行こうか」と。君がそうしてくれたように。
4/23/2025, 12:02:53 PM