体調がほんの少し、本当にいつもより少しだけ悪かったから軽い気持ちで病院を受診したらさ
『末期癌です。ほぼ全身に転移していて手術できません。』
とかなんとか重い口調で医者に言われた。
嘘みたいな本当の話。
余命宣告って本当にあるんだね。
時間は有限だって言うけれど命だって同じ。
ただ現実にはまだ今ではないよねって、今までそんなに大きな病気だってなかったじゃん、少し体調が悪いだけだよ?薬飲んだら治るんでしょ?って思った。
医療は進んでいるから、辛いけれど抗がん剤治療をしながら仕事だって取り組んできた。
残りの時間がどれほどかはわからない。
猶予なんてないんだ。
だけど【生きる選択】をしたからには一旦現実を受け入れて、無謀かもしれないが闘おうって今まで頑張ってきた自分自身のためにも固く決心した。
とは言っても言葉とは裏腹にそううまくはいかないんだ。
度重なる抗がん剤の副作用に耐え抜く体力をまずはつけなきゃいけないのだけれど、
思ったよりも副作用は体力を消耗していくんだ。
よく耳にする副作用のありとあらゆる症状は網羅した。
髪の毛は抜けて、色素も薄くなり血色もなくなった。
食欲だってわかないから今までのように食べることもできない。
だから体重は落ちていくし痩せこけた生気のない老人のような見た目になるのにそう時間はかからなかった。
余命宣告をされてから半年ほど経った頃抗がん剤が効かなくなってきた。
痛みが増すばかりでまともに立っていられない。いや、立っていても座っていても痛くてたまらない日々が続き、モルヒネ治療に切り替わることになったのだ。
モルヒネ治療は抗がん剤よりも痛みを緩和してくれるのだけれど、そのかわり仕事へは行けなくなってしまった。
それはまぎれもない事実上の解雇だった。
今となってはわからないけれど、入退院を繰り返していたことで業務に支障が出ていたのかもしれない。
解雇後は入院を余儀なくされたため残された限りのある中でタイミングが良かったのかもしれないと妙に納得した。
入院してから一月が経った現在、殆ど眠っている。
そのため現実なのか夢なのかわからなくなる事が多々あり会話も呂律がうまく回らず会話がまともにできなくなった。
呼吸をする力もあまり残されていないから機械と繋がっている細めの管を通して酸素を吸入している。
生きる選択として生きる希望は持っているが延命治療はやめた。
今までは面会できなかった病院だったけれど、延命治療をやめてから面会ができる病院へ転院した。
北側の日が当たりすぎず、冬だと最悪だけどこれから暑くなる季節にはもってこいの病室だ。
身内や親族、それから友人たちが人数制限こそあるが、代るがわるお見舞いに足を運んでくれるようになった。
なんでもないことを面白おかしく話すわけではなくて、普段の日常と同じような会話。
当たり前こそ幸せなことだと記憶の断片で誰かが口にしていたけれど、その通りだと思う。
面会に訪れたみんなが帰り際に
『またね、明日会いに来るね、頑張ってね』
本当に何気ないこのような挨拶を交わすんだけど、その時は明日なのかもしれない。
もしかしたら明日は来ないのかもしれない。
明日が来ないかもしれないから、そう思って今日を“生きる”。
アトガキ
最後まで読んでいただき誠に感謝いたします。
この話は私が本人ではないのですが、本人の気持ちや視点、それから本人以外の周りの人間(私を含む)の視点で執筆した作品です。
どうかあたたかい気持ちで読んでいただけましたら幸いです。
重ねて御礼を申し上げます。ありがとうございました。
令和6年4月27日
4/27/2024, 12:29:27 PM