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 いつものように捧げた神食を下げるため、奉段の簾を捲ると、空になった皿の上に封筒が置かれていた。一見すると白い封筒でしかないが、日の光に透かしてみると物を咥えた使い烏の絵が浮き出てくる。使い烏が嘴に咥えている物は、要件によって異なる。今回の使い烏は、松明。つまり、島外からの迷い人の来訪を知らせる手紙だった。
 蛍は帯に手紙を挟み、お盆を持ち、階段を降りる。奉段は神託室の一番上に設置されている。神殿で最も広い部屋なのに、神は人がギリギリ座れるくらいの狭い奉段から下に降りることはない。そして、蛍が神食を下げにくる頃には大抵、器は空になっている。
 島に唯一存在するこの神殿では、国祖神を奉る重要な役割を務めているが、誰もその御姿を目にすることはない。島でただ一人の島守神官のじいさまも、神食を毎日作る茜も、たまに神に「道標」をしてもらいに訪れる村人や島民以外の来客も、神を見たことがない。
 そしてそれは、神託者として生を受けた蛍も同様だった。
 いつの間にやら完食された皿を洗い場に持って行った蛍は、その足でじいさまの元に向かう。
 事務室で仕事をしていたじいさまに、蛍は手紙を渡した。
「来客か」
 じいさまは丁寧な手つきで封を開け、その手紙を読む。読み進めているうちにその表情は険しくなり、机に手紙を置いたじいさまはんー、と不機嫌そうな呻いた。
「夜明の奴め、どうせ死なんからとわざと通しおったな。相手は正真正銘の王子様じゃというのに」
 島外に滞在する夜明は、この島を繋ぐ橋渡しをしている。
「迷い人がお越しになる。明後日の朝、海に道を作りなさい」
 明後日?蛍は首を傾げた。今は昼餉が終わったところだ。いつもならこの後すぐに海に行き、来客が迷子にならないように道を作る。
「海はこの後、嵐に見舞われるそうだからな」
 じいさまはため息をついた。
 厄介な客だ。蛍が部屋を出る際、じいさまがぼやいた。

 眩しい陽射しに、蛍は目を細めた。
 来客者は、嵐の中、海を渡るらしい。雨の気配など感じられないが、島も雨風が強くなるのだろうか。

8/20/2023, 7:23:23 AM