僕たちは、産声をあげたと同時に、”人生という船旅”も始められていた。
自我が芽生えた頃には、この世界が既にあった。
最初は世界が大海原のように広いと思って生きてきた。
しかし、小学生になると同時に、学校や教室という”いけす”に入ることになり、テストの点数という明らかな基準があるものや、友達と打ち解けあっているかどうかなどという、基準が曖昧なものなどから、”他人”と比べ始める。
船の外見や設備、航路、舵がどれだけ計画通りに取れるかなど、比べる項目は数多ある。
比べるようになっても、比べる程度をコントロールできる人は、それを生きるエネルギーに変えて、船が嵐にあって故障しても、それを修理して再び航海を始める。
比べて、ただ自分の不甲斐なさに嘆く人は、生きるエネルギーがどんどん減っていって、船が嵐にあって故障したときに、それを修理する気力もなくなって、航海が止まってしまう。
後者の人は、生きるエネルギーが減っていき、もう食料も尽きてしまい、生活がままならなくなってしまう。
もうこれまでなのかと思ったとき、はっとなる。ううん、そうじゃないとつぶやく。
そうつぶやいたとき、船上には仲間が、僕を、ともに航海をする仲間であることに加えて、一人の大切な存在として”ずっと”思っていてくれた気がつく。
大海原のなかで”自分の透明な殻”に閉じこもっていたから、殻の外の人との関わりもあったけれど、そのときは自分のことばっかり考えていて、そんな思いにすら気がつくことがなかった。
僕を見捨てないで、僕がそのことを気がつくまでに見守ってくれた人は、確かにいる。そのことに気がついたら、木が突然急成長し始める夢のなかの魔法のように、生きるエネルギーがメキメキと湧いてくる。
その仲間といっしょに、船を修理し始める。
なかなか修理はうまくいかないんだけど、一つひとつだと互いに言い聞かせて、故障したところを直していく。
その間、食料は船長がこっそりとっておいてくれた乾燥したビスケットを食べてしのぐ。
そして、陸に向かって舵をとり始める。
舵を大きく右に動かしていても、面舵いっぱいにはなかなかならないときもたくさんあって、その度に、がんばってもうまくいかないことってたくさんあるんだと気付かされる。
途中で励まし合いながら、ときに泣き笑いして、少しずつ目的地に近づいていく。
やがて、着陸を果たす。
“自分で自分のことを信じること”は、自分にしかできないことだ。
だけど、いつのまにか始められていた、”人生という船旅”のなかで、僕を信じてくれる人がいるから、時間はかかったけれど、僕は自分のことを信じられるようになったのだと思う。
これからもきっと、気づかないうちに自分の殻に閉じこもってしまったり、一筋縄ではいかないこともたくさんあると思う。
だけど、どうか、”これまでの船旅”を忘れないでほしい。
それが、これから先の航海を”僕にとってよい航海”にするための秘訣だ。
ここで注意が必要なのは、良い旅というのは、完璧な旅のことを言うのではないということだ。
つまり、自分自身に対してなにが言いたいのかというと、「人生いろいろあると思うけど、まあ、あまり重くとらえないで、気長にいこう。」
Take it easy。
________________________________未来への船_____。
5/11/2025, 12:38:02 PM