力を込めて
「あ」
思わず口を出たせいで、
「あ」
向こうも私に気づいてしまった。改札口。
目が合ったなら、挨拶ぐらいはするべきだ。ICカードをタッチしながら
「お久しぶりです、先生」
「おー久しぶり」
ワンセットの礼儀を終えたところで、きっと離れるのが正解だろう。おかしな期待も幼稚な妄想もいらない、この人には通じないから。
「あ、じゃあ私こっちで−−−」
「大学どう?ちゃんとやれてるん?」
「え」
上手く別れられなかったせいで、駅のホームの端っこに、ふたり並んで立つ羽目になった。先生は相変わらずきっちりとスーツを着こなして、やっぱり背は高いまま。
「えっと、まあ、それなりに頑張ってます」
「うん、ほどほどが1番ええよ」
13時を過ぎたホームに人はほとんどいなかった。
「……結構、忙しくなって」
なんて自分から喋り始めたのは、気まずい静けさが嫌だったからじゃない。ちょっと沈黙があけば、先生は即座に話題を見つけてくれるような人だもの。
あの日で最後って覚悟を決めたのに私、今ものすごく嬉しいから。
「家にいる時間って減ってるんです。帰っても7時近くなってると家事でバタバタで」
風が吹いた。流される髪を片手でおさえる。
「だからそういう面では、楽かもしれないです。……母のこと、思い出すことが減るから」
真っ直ぐ向かい側のホームを眺めていた先生が、こちらに顔を向けた気配がした。私は変わらず足元の点字ブロックを、穴が開くほど見つめていた。
「福井」
「はい」
「お願いがあんねんけど」
「はい」
「目つぶって」
「はい……え?」
つい顔を上げると、視線がぶつかった。どうして先生がそんな表情をしているのかわからない。
「目」
繰り返す。
「つぶって」
悲しそうな瞳で。
おそるおそる目を閉じた。風は少し強くて、空気はちょっと冷たかった。
ふいにその風がなくなった。それと同時に、背中に温かいものが触れた。
手のひら。
その温もりが背骨をなでるように横断する。耳元に布の動く音がする。後頭部にもう片手が添えられる。それから−−−。
いつもかすかに感じていた柔軟剤の香りが、今、こんなに近くに。
私の腰に触れる手に力がこもった。額にワイシャツの感覚がする。頬に鼓動が聴こえている。私に合わせて身体を丸めた先生の、震えるような息が首にかかる。
わけがわからないまま、私は言われた通りじっと目をつぶっていた。
どれくらいそのままでいたのか。それほど長くなかったのは確かだ、次の電車のアナウンスでそれまでの温もりは私を離れたから。
汗をかきそうなほど熱かった身体を、風が冷ましていく。
「もうええよ、目開けて」
ゆっくりまぶたをあげると、ちょうど電車が流れ来たところだった。
「あ、あのっ、先」
「先に乗り。わたしは1本遅いのに乗るから」
背中を押されて乗ると、間もなく電車のドアは閉じてしまった。
ホームを振り返る。先生は片手で額を押さえて下を向いたまま、私を見なかった。
『彼女と先生』
10/8/2024, 1:25:22 AM