ネジが外れたウサギ

Open App

『不意の涙』


あれは初めて嬉し泣きをした宝物のような日だった。



ある日の夜。

俺は母と声が枯れるくらいの大げんかをした。

けんかの原因は進路のこと。

俺は就職したいと言ってるのに、

母は大学に行けと言う。

それだけのこと。


翌朝、誰にも何も言わずにいつもより早く家を出た。

言わなかったんじゃない。

お父さんと顔を合わせたとき、声が出なかった。

それでも、俺はお父さんとさえ話をしたくなかった。

理由は、どっちの味方でもない傍観者だから。



学校へ着いてクラスメートからあいさつを受けても

手を振るだけで「おはよう」も言えなかった。



何も知らない、

何も障害がない家庭のみんなに嫉妬していたのだろう

 

唯一、俺の気持ちをくんでくれた女子がいた。

挨拶しか交わしたことのない陰キャな女子。

なぜか手紙をくれた。

「なんか元気ないね。何かあった?」

手紙にはそう書いてある。

でも、ろくに会話すらしたことのないやつに

俺の気持ちなんかわかるもんかと思って、

「別に。親とけんかしただけ」

とだけ書いた。

「ふーん」とか「大変だったね」で終わるかと思った。


「私の家はね、母子家庭なの。

でも、最近の母は酒に入り浸ってるから

私のバイト代で毎日を過ごしてる。

ギリギリの生活なのに母は酒にお金をかけてる。

私と母は毎日が口頭での戦争。

高瀬くんのけんかの理由と比べたら

こっちなんて野暮ったいかもしれないけど、

親って面倒くさいよね」


その事情を隠しながら陰キャの羽田は学校で

普通に勉強して、そつなくバイトしてるのか。

そんな彼女の事情を知って俺は自分が情けなくなった。

ちっぽけな理由で、

こんな暮らしをしてる自分を殴りたくなった。


「羽田も苦労してるんだな。

でも、俺より断然カッコいいじゃん。

ちゃんと家のためにバイトしながら学校に通うなんて。

俺なんかさ、自分の進路でもめてるんだぜ。

母は俺の心配をしてくれてんのに、

俺は何もわかってない」



「私は高瀬くんのこといつも見てるけど、

高瀬くんのほうがカッコいいと思う。

見た目の問題ではなくて、心のこと。

困ってる子がいたら

必ず声をかけて手を差し伸べるのを見てるよ。

高瀬くんの優しいところに惹かれてる自分がいるんだ」



最後の一言に俺はついドキッとした。

俺は羽田の肩をポンと軽く叩いて体育館の裏に促した。



やっとの思いで顔を赤ながら出た第一声は

「俺を褒めてくれてありがとう」だった。

「いいよ、そんなの。私、好きだよ」

「え?」

「私言ったじゃん。高瀬くんに惹かれてるって」

「マジかよ。俺でよければ…付き合うけど」

「えっ!ほんとに?」

「うん」

ありがとー!と言って抱きつく羽田の温もりに

俺はその日初めて涙を流した。

こんな状況で泣くなんて恥ずかしい。

でも、あの羽田に心を認められたような気がしたのが

嬉しくて涙が出たと思う。



帰ったらお母さんに謝ろう。

そして、進路をしっかり考えよう。

羽田という強い彼女より男らしくなるために。

10/11/2024, 6:33:39 AM