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令和7年4月7日

お題 「フラワー」


「まだ見ぬ、波濤」   作 碧海 曽良 

1989年  東京 

大学進学で上京した海内 洋は高校の三年間だけを過ごした田舎街を回想していた。

「回想」

1982年 

父の転勤に伴って彼方此方転校して出会いと別れを繰り返し、そういうことにドライになったのかも知れないが、高一の春のあの出会いだけは鮮明に覚えている。自分の思春期という青い春がようようと明けて、紫色の雲が薄くたなびいて、そこに明けの明星がくっきりと光っているような、そんな出逢い。何故そんなに輝いて見えたかと言えば、あの凛とした横顔と意思の強そうな人を見抜くような目力だろう。「あのヤロウみたいな目が好きだ」それが率直な第一印象、けれど、春の海岸を二人歩いてみれば、「桜貝はどこから来るんやろ?」 
「お前、ポエマーか?それコバルトの読み過ぎやぞ」と言いたくなるようなことを話出したり。「深夜の句会」というラジオ番組のコーナーに、何通も葉書を出してみたり。「かぐや姫の「神田川」って曲は今じゃなくて過去を歌っていて、昔の恋を歌っていて、今が幸せだから、昔の彼のことをこんな風に言えるんやろねぇ…」とまた話はじめる。洋は、その度「はぁ?はぁ?はぁ?」の連続で、そんな何時も教科書に載っていない試験にも関係ない勉強以外のことを、クソ丁寧に真面目に取り組み、集中し調べ時にはその舞台となった土地に、ふらっと旅に出てしまう絶賛思春期真っ最中の之子の言動が危なっかしいやら面白いやらで、高校三年間の全てに鶫 之子が居て、あの島の潮風の匂いが全て鶫 之子の匂いだった。之子の方は之子の方で、ちっともやる気がなさそうでクラスにも馴染めていない、気に食わなければ教師にも喰ってかかる多分自称一匹狼だと思っているなこいつはな、海内 洋が気にはなっていたが、おタカの気持ちに先に気づいてしまったので、自分の気持ちには気づかないふりをしていたが、お互いまだ15の夜の少年少女たち、色に出にけりで見ていれば分かりやすく気づいてしまう三の角の間の系なのであった。

初夏の放課後図書室の窓から夕暮れの校庭を走る海内を之子は見ていた。遠くから、おたかの声が聞こえた。「あんたらなんで付き合わんの?お互い好きなくせに、目障りなんやけど」なんとも、おたからしい言い草。之子は、おたかさんのこういうところが何故かとても好きであった。彼女の存在は稀有である。とても努力家で塾にも行かず家庭教師もつけずに成績は何時も学年トップクラスで、誰よりも早く登校して部活。おたかも海内と同じ陸上部の朝練に出て放課後も出来うる限り走る真っ直ぐに走り続ける、「おたかってメロスみたい」「はあ?また、之子な脳内たんぽぽの綿毛状態はじまったぁ?」と返された。すると之子は「わたし、おたかやったら待てるわ!」と言った。おたかは「意味分からん、なんか、また頭のなかで話はじまっとるん?」「とにかく、あんたら付き合わんかったら、殺す!」とだけ言いに来て図書室を出て行った。それを、聞いていた桐子が「なあ、これっが、青春?」と聞いたので之子は、すかさず「君は、何を今見つめているの♪…」と歌った照れ隠しであったが、桐子はノッてくれた。「燃やそうよ、二度とない日々を♪」

それが、1982年5月

一学期末テストの後、之子は洋を映画に誘いテスト明け、はじめて二人で観に行ったのが「ブレイドランナー」「ターミネーター」を渋くしたような映画であるが、「ターミネーター」は1982年夏、世には出ていないので二人は、まだ知らない。
この素晴らしい記念すべき1日と映画を之子は緊張し過ぎて全く覚えていない。ただ、映画館を出た後に喫茶店で飲んだレモンスカッシュが美味しかったことだけはハッキリと覚えている。

初恋はレモンスカッシュの味だ。

その、帰り道はっきりと海内洋から「好きやから、付き合ってくれ」と言われたらしいが之子は、それも覚えていない。証人は変装して後をつけていた、おこまだけだった。おこまはこういう時だけ単独行動をする。

光と風の中で、腕をくんだ青い夏が輝いて見えた。

つづく


「フラワー」

フラワーと、いうととても軽く聞こえるのが不思議。「フラワー」と呼ばれるより「花」「華」と呼ばれたいねぇ、女なら一生に一度ただ一人の「花」になりたいね。どうせなら「Flower」よりもフランス語の「Fleur」が語呂的には妖精のようで好きだ。
「花」には負けると思うが。
そうそう「フラワー」と言われると、どうしても「ダンシング・フラワー」のあのちょっとアホっぽいコミカルで滑稽な動きを思い出す。確かに、玩具ぽくってアメリカンな陽気さはある。「陽キャラ」ってやつwww


花見あげ 思い起こすは 君の声 

 
              碧海 曽良

「花」にはなれない「フラワー」さん(笑)

好き嫌いなんて誰にもあるでしょ。手向けるものなら贈る人の好みを考えるのが、優しくあることで、それこそ供花やろ〜ぉ、そういうの屁理屈って言うのよなぁwww
尊さとは別の話だし、順序知らん奴は歴史語る資格ないし、供花は贈る故人の好みを考えるのが思いやり、だから好みを語り合い知るのは大事なこと押し付けではなく。
花の命の尊さとは全く別の話だわwww
メンタリストセンセーはそんなことも推し量れないのか🌾🦜🌙 

ライングループ
既読にだけして、ほっときゃ良いらしいですよ
うちの旦那が言ってます。

4/7/2025, 12:46:38 PM