《お気に入り》&《今日にさよなら》
おかあさんのくれる、
「おやすみなさい」
その言葉が、大すきだ。
寝る前の部屋のうす暗さに、少しの怖さを感じていたころ。
お母さんの言葉が、わたしをあたたかく包んでくれるような気がして。
眠るとき、いつも不安になる。
もしこのまま目覚めなかったらどうしよう。
そんな、ありもしない不安だ。
わたしの体はずっと元気で、急に体調が悪くなることもない。風邪だってそんなに引かないくらいだ。
それに、なにか悪いことをしてもいない。
だからこのまま眠ってしまっても、もう二度と目が覚めない、なんてことはない。
だけど、少し怖いから。
「おやすみなさい」
その言葉を聞くだけで、不安なんてどこかに行ってしまう。
わたしの隣にはお母さんがいる、そう感じながら眠れるから。
そしてそれは、わたしにとってすごく幸せなことだから。
だからわたしにとって一番のお気に入りの言葉は。
「おやすみなさい」
誰もいない空間に向かって呟くことの、なんと虚しいことか。
小さい頃は気にもならなかったし、お母さんがその存在を口にすることもなかった。
私には父親の存在が、産まれた時からなかったのだ。
私を産んだときお母さんは、十九歳だったという。そしてお父さんは同じ大学で出会った同い年の人だった。
つまり父親が責任を放棄したのか、と思われがちだがそういう訳ではない。
お父さんは、交通事故で命を落とした。
そして彼の遺した大切な存在としてお母さんは私を産み、両親の手を借りながら私を育てた。
母子家庭だ、そんなにお金に余裕はない。
お母さんは留年したものの何とか大学を卒業して、二十四歳の頃から働き始めた。
それから、私の隣にお母さんが眠っていることが減ったように思う。
忙しいのだ、仕方がない。
こんな意味のないことを考えてしまうのは、夜、寝る前だからか。
どうにもならないことを考えるより睡眠時間を確保して、学校で寝ないようにしないと。
目を瞑ると、闇が全てを覆う。
そしてそれが、不安を煽るのだ。
私の記憶の片隅に、いつか誰かが言っていた言葉がある。
眠る度に、私達は死んでいるのだと。
次目が覚める保証もないのに、一時的とはいえ意識を失うということは。
目が覚めることは、蘇っていることだと。
「おやすみなさい」
一人でもそれを口に出して、私は目を瞑る。
今日にさよならを、告げる言葉を。
十七年間変わらぬ、お気に入りの言葉を。
2/19/2024, 4:23:28 AM