例えば
悠久なる空を飛べる翼を持つのであれど、
羽ばたく自由を知らねば
その翼は「飛べない翼」となる
例えば
何処にだって駆けられる脚を持てど、
すぐに折れてしまったなら
その脚は「不自由な脚」となる
この2つの論点は一体どう異なるのか。
まあ簡単な話だ。
「知る事がなかった」
か
「知ってしまった」
であろう。
自由を知らずに済めば、自身の知る世界だけで
何にも脅かされず安寧を貪る事が出来る。
自由を知ってしまったなら、今までの
狭苦しい世界を窮屈と飛び出す事が出来る。
しかして、「不自由な脚」となった後者では
「自由を知れど踏み出せない」
その鬱屈さに心を病んでしまうかも知れない
そして、「飛べない翼」を持つ前者であれば
「自由を知らずとも生きていく」
翼に頼らず生きていく術を生み出せるかも知れない。
……とまあ、真面目くさい話だけれど
要は生き方とは自在に捉えられるのさ。
「誰かの不自由は誰かの自由」
世界を知って苦しむか
世界を知らずとも苦しむか
世界を知って自由に羽ばたくか
世界を知らず不自由に歩き出すか
その選択は、全て君次第!
とは言っても、『僕』の語る言の葉は
堅苦しく見せかけたまどろっこしいフィクション!
そう深く悩まなくても良い話。
ただ、薄っぺらい『僕』なんかの言葉でも。
今を生きるキミたちの心に刺す事が出来るなら
面白いかも知れないけどね!
11/12/2022, 10:09:00 AM