泡沫

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そよ風が頬を撫でる。
道端の花びらは舞い、視界は一瞬桃色に染る。
もう、この道のこの景色を、二人で見ていない。新しい気持ちで、胸が弾んで、不安を抱えて、希望を抱くはずのこの季節をぼんやりとした頭で少し俯いて歩くだけ。
周りの人達が皆輝いていた。その眩しさに失明しそうで、思わず目を逸らす。
歩く足が少し速くなる。家までの帰り道も、こんなに距離があったのかと、頻繁に思うようになった。
横を赤いバイクが通り過ぎる。
車通りの少ないこの道に通るなんて、と少し物珍しさを覚え、どうでもいいとかぶりを振った。
ボロアパートに着く。君がいたから、ここでもやれると思っていたのに。いなかったら安いだけが取り柄の狭い部屋だ。
君がいたから、狭さも窮屈さもメリットになったのに。君がいたから、頑張れていたのに……。
なぜ今日に限ってこんなことを思うのか。それはいつも、今まで思っていた事だった。
そう思っていた自分を刺して、殴って、殺した。何度も、きっとそうしてきた。
ああ、と。この歳まで生きるとなかなか賢くなるようで、もう察した。いやでも、今日まで我慢して、押し殺していたのだから、賢くなんてない。
玄関の扉の前まで着くと、チラシで溢れた郵便受けの中に、見慣れないハガキがあった。
しっかりと自分の名前が、書いてある。
ボーッとしてそれを取り、乱暴に玄関を開け、帰宅する。
物を適当に置き、水を火にかけてからさっきのハガキを見る。
そこには、君からのメッセージ。
──あ
声が漏れた。なんで今日なのか。辛くてしんどくて生きたくないと思った今なのか。
なんでも聞いてくれて、慰めてくれた君らしいと思って、でも自分勝手な君に少し怒って、それから安堵が身を染めた。
数年前、突然居なくなり、それから連絡のなかった君。聞きたかった、ずっと聞きたかったその事情がそのハガキに書いてあった。
病気だった。治るかも分からず、心配をかけまいとした行動だったと言う。
──ダメだ。もう、読めない。
涙が視界もハガキも覆う。ボタボタとハガキの上に落ち、文字を滲ませた。
そんなこと、知るかよお……
伝えて欲しかった。生きていてよかった。勝手にいなくなった。無事で良かった。
感情が涙になって溢れ出す。感情は喜怒哀楽のようにハッキリと境界線なんてない。ごちゃ混ぜになって私の中をグルグルとしている。それでも一番は安堵だった。
こんなにした責任は取って貰おう。
文字は滲んでしまっても、最後の一文は読めた気がした。
同じ気持ちだ。それを伝えたい。
あなたにも届けたい──
帰ったばかりの家を飛び出す。いい歳した大人が、子供のように泣いて、笑顔で走っている。傍から見れば引いてもおかしくなんてなかった。それでも、抑えることは出来なくて、もういいや、今だけ許せと開き直った。
青空。新しい生活が始まるこの季節に、止まった時が動き始める。

1/30/2022, 4:36:47 PM