「意外と、何書くか、迷っちまうお題よな」
某所在住物書きは己の部屋の本棚を見つめて、一冊取ってはチラ見し、戻しを繰り返していた。
好きな本、すなわち食い物と酒と、一応薬と植物も。飲み食いに関する蔵書は計何冊になるやら。
「『誰の』好きな本か。好きな『何の』本か。好きな本『をどうするか』。なんなら好きな本『を書いたひと』のハナシも書けるし、好きな『電子書籍の』本『がサ終で読めなくなった』とかも」
毎度毎度、アイディアは出てくるけど、書けねぇ。
物書きは本を棚に戻し、今日もため息を吐く。
――――――
最近最近の都内某所、某アパートの一室、夜。
部屋の主を藤森というが、何のおとぎ話やら、
不思議な物言う子狐が部屋に来て、藤森の膝の上にお座りして、大きな絵本を読んでもらっている。
子狐はアパートの近所の稲荷神社に住まう狐で、その絵本は子狐の好きな本、好きなおはなしのひとつ。
何冊も持ち込んだわりに、何度も読んで読み終えては、それを「もういっかい!」藤森にせがんだ。
子狐いわく、「子供ってそーいうもの」。
どーいうことか、藤森には分からなかった。
「昔々、あるところにあった大きな花畑を、」
白と白と白。ユリによく似た形の花が、見開きいっぱいに描かれた美しい場面から、
ぱらり1枚、厚紙のページをめくる。
「人間が壊して慣らして道をひいて、家とお店を建てて、欲望渦巻く街に変えてしまいました」
次の見開きに描かれているのは、意図的におどろおどろしく描かれた黒い空、いわゆる昔々の昔話に登場する民家、恐ろしく描かれた人間、
それから、ひとりだけ光って見える「白い誰か」。
くわぁ、くあぁ。コンコン子狐は恐ろしい絵に怖がって鳴き、耳をペタリ、尻尾をくるり。
藤森に数秒しがみつき、また絵本を見る。
ぱらり1枚、次のページへ。
前ページで描かれていた「白い誰か」が、悲しみと憎しみで、泣いて、怒って。そして「欲深き人間ども」を、強大な力でやっつけるのだ。
「花畑に鎮まっていた花のおばけは、花畑を壊されて、悲しくて、うらめしくて、どろりどろり。
『おのれ、おのれ!欲深き人間どもめ!』
花のおばけはたちまち花の怨霊になってしまって、花畑を壊した人間を、次々こらしめ始めました。
えい! えい!
花の怨霊は強いので、そんじょそこらの陰陽師も、お坊さんも、刀や弓を持ったひとも、
えい! えい!
簡単に、やっつけてしまうのでした」
ここまで読み、ページをめくってきた藤森。
ちらり膝の上に座る子狐を見る。
コンコン子狐は、この後からの展開がお気に入り。
「そんじょそこらの人間」の手に負えないほど暴走してしまった花の亡霊を、2匹の狐が鎮めるのだ。
その2匹が子狐の祖父母の若い頃だという。
本当だろうか。藤森には分からなかった。
はやく、はやく!次を読んで!
展開を知っている子狐の心はクライマックスに向けて高まり、尻尾などビタンビタンのベシンベシン。
藤森の腹を何度も何度も叩く。
ぱらり1枚。次のページへ。
「このままでは、全員やっつけられてしまう!
人間たちがワンワン泣き出した、そのときです!
深い深い森の中から、金色に輝く3本尻尾の雄狐と、銀色に輝く2本尻尾の雌狐が現れて、
えい! えい!
花の怨霊を、すっかりこらしめてしまいました!
くわー、くわぁー。金色雄狐が言いました。
『花のおばけよ。お前の悲しみは、もっとも。
しかしお前はやり過ぎたし、やりかたも間違えた。
おまえは怒りに任せて、人間をいじめたのだ』
くわー、くわぁー。銀色雌狐が言いました。
『弱い人間を、いじめてはいけません。
人間がお前の愛するものを壊した以上に、
お前は人間の愛するものをいじめ過ぎたのです』
『なんということだ。なんということだ』
2匹の狐に叱られた花のおばけは、すっかり怨霊の悪い力が抜けてしまって、深く反省しました。
『たしかに私は間違えた。やり過ぎた。私はどうすれば、人間たちにごめんなさいができるだろう』」
ここからが、クライマックス。
反省した花の亡霊を、金の雄狐と銀の雌狐、つまり子狐の祖父母が不思議な力によって、
毒として人間をいじめ、薬として人間を助ける、白いヤマトリカブトに変えるのだ。
花に変じた花の亡霊は、2匹の不思議な狐のおかげで今も、己の愛した花畑のあった場所に建てられた稲荷神社で、人間を見守り続けており――
「……ふぅ」
藤森は続きを読まず、絵本をぱたり。
電池が切れたコンコン子狐、数度目の絵本リピート朗読の果てに、とうとう寝落ちてしまった。
大好きな本の読み聞かせは、これでおしまい。
就寝子狐はフカフカクッションのベッドの上へ。
「好きな本を聴きながら寝落ち。贅沢なことだ」
夢の中の子狐は答えない。ただ幸福に腹を上下させ、時折寝言を吠えるだけである。
6/16/2024, 3:14:50 AM