谷間のクマ

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《そっと伝えたい》

「えっと〜、明日はバレンタイン……。『明日はバレンタインです。皆さんチョコレートの準備はしましたか?』とかでいいかしら……」
 2月13日、バレンタイン前日の朝8時前。私、熊山明里は今朝の放送の一言コメントを考えながら放送室に向かって歩いていた。
「そーいや私何の準備もしてないなー。まあ別に何もする気ないけど」
 でも去年は蒼戒に作りすぎたマカロンをお裾分けしたんだよな。今年も期待されてるかしら。
 いやあの子に限ってそれはないか。スタイルいいしイケメンだからかなりモテて毎年机の上にチョコの山ができてるし。
「そもそもお菓子作りってめんどくさいのよねー」
 そういえばバレンタインは女性から男性にチョコレートを贈って告白する日なんだっけ。
 私もあの子に、『好き』って伝えなきゃ……。他の誰かに、取られてしまう前に。
「いやいやいやバレンタインに便乗して告白なんて絶対イヤ!!」
 そもそも私バレンタインってお菓子会社の販売戦略に乗せられた気がして嫌いなのよね。
「どーせ告白するならもっといいシチュエーションで……って何考えてんだろ私!!」
「ごもっともごもっとも」
 そんな声が聞こえて、私はハッと思考を戻す。
「サッ、サイトウ?!! ああああんた何してんのよこんなところで!!!」
「いやここ放送室だしもうすぐ放送始まるし」
「ってことは私のひとりごと聞いてたの?! いやあああああ!!」
「最後の一言しか聞いてねーけども。つーかうるさい」
「うううー、めちゃくちゃ正論だけどサイトウに言われるとなんかムカつく……」
「何でだよ。あ、ちなみに兄目線で言わせてもらうと、あいつあれでそれなりにバレンタイン楽しみにしてると思うよ〜」
「黙れ弟バカ! 今から何か作るつもりはない!」
「え〜」
「え〜、じゃない! てかあんたが食べるんじゃないでしょ!」
「まあそうだけど。……っていけね! あと1分で始めるぞ!」
 サイトウは時計を見て慌てて言う。
「それを早く言え弟バカ!」
 私はそれを聞いて慌ててアナウンス室に飛び込み、ざっと今日の放送原稿を確認する。
 分厚い防音ガラスの向こうでサイトウが『やります』の札を掲げていて、私はそれに大きく頷く。
 数秒後、よーく慣れ親しんだ朝の放送の音楽が流れ始めた。
 私の気持ちをいつ伝えるかについては後回しだ。
 でもどうせならバレンタインみたいなイベントの日じゃなくて、なんでもない日にそっと伝えられたらいいな。
 そんなことを考えながら私はサイトウの合図で放送原稿を読んだ。
(おわり)

2025.2.13《そっと伝えたい》

2/13/2025, 4:56:09 PM