【視線の先には】
君はたまに、虚空を眺めている時がある。ぼんやりと何もない空中を見て、時に首を捻ったり、大きく首肯したり。隣同士の家で幼馴染として育った私はずっと、不思議な子だなぁと他人事のように思っていた。
それが変わったのは、私の母が急逝した次の日だった。母の痕跡が色濃く残るリビングで、現実を受け止められずに立ち尽くしていた私の手を、君は力強く引いた。
「おばさんの寝室の、ベッドサイドの引き出しの上から二番目。良いから確認して」
相変わらず視線を宙へと向けながら、君は私を母の寝室へと連れ込んだ。言われるがままにのろのろと引き出しを開ければ、五日後に控えた私の二十歳の誕生日に渡すつもりだったらしいバースデーカード。ぼろぼろと泣き出した私の背中を不器用な手つきで撫でながら、君は小さく呟いた。
「こいつのことは、俺がちゃんと見てますから」
そうして私が立ち直るまで、君はなにかと気を遣って声をかけてくれた。あの時初めて、気がついたんだ。君の視線の先にあるものが、いったい何だったのか。
大学構内のカフェテリア。相変わらず君はぼんやりと窓の外を眺めている。私には君と同じ世界を見ることはできないけれど、だけどそれでも君の視線の先にあるものを理解したいとは思うんだ。
だから君の隣に許可もなく腰掛けて、君の見ているのと同じ場所をじっと見つめる。
「ねえ、今日はどんな人が見えてるの?」
朗らかに問いかければ、君は「ほんとに物好きだよね」と呆れたように嬉しそうに笑った。
7/19/2023, 11:17:09 AM