名前の無い音

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『夏の日』


蝉の声が響いていた

バスを降りると
もう その特徴的な屋根が見える
赤い屋根と白い十字架

坂の下から見える その景色が
幼い頃から 好きだった


夏休み 必ず宿題に
「教会に行き礼拝に出席して
週報を貰ってレポートを書く」
という課題があった

せっかくならと
自分が住んでいる街の教会ではなく
毎年 祖父母が住んでいる町にある教会で
週報を貰っていた

祖父母の家は 東北の田舎町にあった

祖父母の家からバスで
20分くらいのところに
小さな教会があった
『教会前』というバス停で降りて坂を登る
丁度 息が上がる頃に
教会の入口に到着する

昔は 沢山人が居たと聞いた
幼稚園が併設されていて
子供たちもいたんだとか

でも 週報を貰うために行き始めた頃には
もう 幼稚園はなくなり
日曜学校だけになっていた


昔から その教会の雰囲気が好きだった
木の扉も 木の椅子も 壁にかかる十字架も
きらびやかさは無いけれど
温かく おだやかで とても好きだった

一年ぶりに 坂を登る
まだ午前中だというのに 充分に暑い
汗が流れおちる
ようやく教会の入口に着いた が

………なんだろう 違和感

なんとなく 雰囲気が違う
庭の周りに 夏草が繁っている


教会の扉は閉まっていた
そして 誰も居ない

誰も居ない 教会
私しか居ない 教会

時折吹く風に
夏草が揺れて さわさわと音を出す
そして 蝉の声

誰も居ない 教会
私しか居ない 教会

神様 見てくれてる?
私はここにいるんだけど
でも 週報を貰えないと
宿題が出来ないのよ

鍵のかかっている窓から
中を覗いてみる

ちょっと広いホールに
子供用の黄色いボールがポツンとひとつ

さみしそうね 取り残された?
あなたは ずっとそこに居たの?
いつから そこに居たの?

外に出たい?
私は 中に入りたいの

外に出たいあなたと
中に入りたいわたし

交わりそうで
交われない
扉一枚の隔たり

神様のいたずらですか?
閉ざされた教会の中

あの ひとりぼっちのボールは
いったいどんな気持ちで
私を 見ていたのでしょうか

暑い
バスの時間まで
木陰で待とうかな

蝉の声が容赦なく降り注ぐ

帰りのバスまで あと30分だ

6/9/2022, 9:18:16 AM