M.E.

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君の背中は、なんでこんなにみていて安心するんだろう。



君は、わたしにとって一番心を開ける存在だと思う。

君は身体が弱くて病気がちだったけれど、元気なときはよく一緒に公園のブランコに乗って遊んだり、走ったりして遊んだね。

今は大人になって、公園で遊ぶことはなくなったけれど、たまに一緒にゲームして遊んだり、好きなアイドルについて語り合って盛り上がったりするね。



今はお互い、成人を迎え、遊びの内容が変わって、一緒に過ごす時間はすごく短くなったけれど、なんでも遠慮なく話せることは、小さい頃からちっとも変わっていないと思う。



わたしは、今だと考えられないが、小学校低学年くらいまではら、しっかり者だとよくいわれた。

君は、幼少の頃は身体が強い方ではなかったし、身体はわたしよりもずっと小さかったから、子どもながらに、姉として君を守る義務感があった^_^ような気がする。この義務感が、わたしをしっかり者にしていたのかもしれない。

しかし、そのしっかり者の気質は徐々になくなっていった。いろいろなことがあって、自分のなかでその情報や気持ちを整理しきれなくなった。

そうなると、常に自分を苦しめる考えがつきまとっていき、自分のことがわからなくなって、人と穏やかな関わりを継続することが難しくなっていった。



このころだったか、君はわたしの身長を越して、身体も徐々にがっちりしてきてたね。

そして、君はわたしが悩んでいるときに、日常の会話と同じように話をきいてくれたよね。肯定も否定もせずに、「まあ、そんなこともあるよ。」みたいな感じで。

たまに、わたしと意見が合わなくて、君に厳しいことを言われたときは、君に話すんじゃなかったかなって思うこともある。

だけど、それは君が真正面からわたしと向き合ってくれたからなんだって思う。人生における師匠のようだなって思う。



わたしは、君の姉なのに、なんでわたしが話を聞いてもらう側になっているんだろう。君に話をきいてもらうことは、そのときのわたしの心の支えだったけれど、自分が弱くて情けない存在だということを認めざるを得なくなった。



君は、わたしの弟であり、何でも話せる友達であり、人生における師匠のようであり、いろんな顔をもっていると思う。どの顔も君なのに、いろんな顔のきみが違和感なくかわるがわる存在している。

いろんな顔の君があるけれど、それは人の顔色を見て態度を変えるとか、そんなんじゃあなくて、君の信念とかポリシーを曲げることなく、人と関わっているんだろうなと思う。つまり誠実なのだ。

今まで生きてこれたのはきみという存在があったからだと断言できる。



君の背中をみていると、とても安心する。身体の大きさではなくて、君の信念やポリシーがいつも君とともにあるからだと思う。それを君がちょっとしたことでは手放さなだろうなって思う。この堂々とした態度に安心するのかもしれない。







君へ


いつもありがとう。









_____________________________君の背中————。

2/9/2025, 1:58:33 PM