「涙の理由」
美しいと思った。
大学のキャンパスのベンチで、静かに涙をこぼす君を
見て不謹慎ではあるが心を奪われた。
声をかければこの美しい情景が壊れてしまう気がした。
だから自販機で買った缶コーヒーをそっと隣に置き
立ち去った。
あの時、なぜ泣いていたのだろう。
――「ねぇ、聞いてる?」
三十年前の初恋に浸っていた僕は、妻の声で現実に
引き戻された。
どうやら娘が婚約者を連れてくるらしい。けれど、妻はその相手をあまり気に入っていないようだ。
――「じゃあ聞くけど、僕とはどうして結婚したの?」
――「昔ね、何も聞かずにコーヒーをくれたことが
あったでしょ? あれが沁みたの」
あれは気を利かせたわけじゃない。
美しいものを壊したくない、そんな僕の私欲にすぎなかった。そのことは、妻には内緒にしておこう。
9/27/2025, 1:15:59 PM