ラーメンが食いたい。
アルコールで朦朧とした頭でぼんやり思った。
街路樹にもたれて夜風を感じていると、居酒屋から聞こえる喧騒も、雑居ビルの光る看板も、どこか他人事というか、別世界で起こっていることのように感じられた。
その世界の表層に、落ちきれないかさぶたみたいに、俺の存在がぺらりと乗っている。そんな感じ。
「先輩、大丈夫ですか」
振り返れば、後輩の山越である。
「ラーメン……」
「ラーメン?」
「ラーメンが食いたい」
「飲み過ぎですよ」
この業界の経験年数は俺より半分なのに、俺より仕事ができる、K大卒のエリート。
「水飲みます? ベンチ座りますか?」
嫌な顔ひとつせず仕事をこなし、誰に対しても物腰は柔らかで、非の打ちどころのないヤツ。社内で彼を嫌いな人間はいない。
俺以外は。
「ラーメンだって、言ってんだろ」
コイツがこの部署に来たから、俺は飛ばされたんだ。
「何で分かんないかなあ。豚骨の、こってりの」
「どうしたんですか。なんか、変ですよ」
俺はコイツが憎い。顔を見るたびに嫌気がさす。コイツさえいなければ。
「違う違う、醤油だ醤油! さっぱりの、それでいて背脂たっぷりの」
何が一番嫌いかって、コイツを憎んでしまう自分自身だ。何も悪くない後輩を、こんな風に困らせてしまう自分自身だ。
「やっぱり塩みそ坦々麺ニンニクカラメ……」
「先輩」
山越が俺の背中に触れる。
「気を落とさないでください。僕、分かってますから。先輩がこの部署の誰よりも頑張ってたこと」
「うるさい!」
思わず彼の手を払いのけてしまった。
戸惑うK大卒の顔なんて、見ものじゃないか、なんて考えてしまう自分がいる。
ごめん。ごめん。そんなつもりは。
「ラーメン……食いたいんだよ……」
俺は最低だ。街路樹にもたれてうずくまる。
再び山越の手が背中に触れる。優しく背中をさすられる。
懲りないヤツ。
これじゃ、どっちが年上だか分からない。
【お題:たった1つの希望】
3/2/2024, 10:31:33 AM