澄んだ瞳
純粋なものほど残酷な物は無いであろう。
男は面接をしながらそう思う。
男は後1年で定年退職になるが、面接官としての仕事はいくらこなそうとも好きにはなれなかった。
会社のためを思えば、若者を積極的に取り入れたいが、まだ社会の荒波を経験していないであろう美しく澄んだその瞳は長い時間を待たずともすぐに淀み濁ってしまう。
そうなってしまうのはある意味では男が採用してしまった事がそうさせてしまうのだが、そうさせる事を良しとする会社ひいては社会そのものが悪いのでは無いのであろうか。
そうなってしまうと一会社員の男が出来る事などたかが知れており結局はなぁなぁで済ましてしまう。
そんなあこぎな思考が男を苛む毒となって、その毒が男が教育してきた後輩たちへと移る呪いのようなものがあるような気がしてならない。
「(こんな毒の沼と化した)当社を志望した理由をお答えください。」
そう思いながらもテンプレート化された言葉で男は言葉の真意も汲み取れないであろう若者へと聞く。
そうすると、若者も負けじとテンプレート化された言葉をハキハキと話し出す。
その純粋な瞳は無知の現れであろう。当然である。
いま目の前にいる若者にとっての社会はまだ学校しかない。その若者が吐き出す言葉は学校でテンプレートされたものを教えられているだけで、それ以外を知る由はないのであろう。
無知故に純粋のように見えるだけだ。
実際に純粋な人間など存在しないだろう。
今男が見ている若者が純粋に見えるのは、男がそれだけ淀み濁ってしまった証拠のようなものだ。
雲泥の差とはよく言うが、男と若者の差は汚泥と泥の差だろう。
どちらも汚れており純粋とは程遠いが汚泥から見た泥と言うのは、綺麗なものである。
だからこそそれに期待してしまう。綺麗に見えるからこそ純粋だろう、純粋に見えるから大丈夫だ。
それこそが判断を鈍らせる。所詮純粋などではなく、程度はあれど泥に違いはないのだ。
男は目の前の若者が眩しく見えるほどに濁った汚泥であった。採用するにも不採用にするにもそれらを一度でも意識してしまうと思考が纏まらずあやふやになる。
結局男は若者を採用した。
男はこの自らが見るこの純粋な若者を濁らせまいと奔走し、何事にも気を遣い自分の最後の後輩にすべての熱を注いだ。
だが、若者は日を増す毎にその澄んだ瞳は濁りを増し、半年を待たずして退職してしまった。
同僚達にはムゴい事をするね。と、男は言われた。
男の妻が自殺した時に理解し、自ら改善しようとしたつもりだった無意識のハラスメントが後輩を追い詰めてしまったのではないか。
その話を男は息子に話した。
親父は考えすぎな上に気をつかいすぎただけだよ。
要するに男もまた純粋であったのだ。ただ、後輩を思った気持ちだけが空回りして後輩に重圧を押し付けて退職に追い込んだ。濁り淀んだ汚泥は自らがまた見る方向が変われば純粋であった事に気付かなかった。
だが、男はそれに気付けなかった。気付かなかった。
自らが汚泥であることを甘んじて受け入れる事で自分が持つ綺麗な泥などには目もくれる事はないのであろう。
男は定年退職を迎え今まで面倒を見てきた後輩達に見守られながら会社を後にした。
これからはゆっくりとした余生を過ごそうと思えるような爽やかな春であった。
7/31/2023, 4:11:09 PM