微睡 空子

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19



あの日、その瞳は

ただ一切を寄せ付けず

憎悪と殺意に揺らめく炎を宿していた


―――

「この辺りに来るのは久しぶりだな」
両手一杯に荷物を抱えながら東城翔(とうじょう かける)はそう言って俺に笑いかけた。
「ああ。こちら側は駅とは逆方向だからな。家からもそう近くは無いし」
俺はそう返しながら持っている荷物を持ち直す。

日曜日の夕方。
家から歩いて二十分程の場所にあるこの辺りへ今日赴いた理由はただ一つ、ここに居を構えているスーパーの一つが閉店セールをやっていたからである。

俺と翔は確かに互いに確りと働いてはいるが、それでも昨今の物価高が厳しい事には変わりない。
まして、翔が某テーマパークに行きたいとずっと言い続けているので、それに向けて我々は少しでも節約をし、資金を貯める必要があるのであった。

(翔がああいった場所に行きたいと言うのは少々珍しい気もするが―――)

実は俺自身はあまりああいった、人が大勢集まる場所は得意では無いのだが、俺に遠慮してか普段そういう場所に行きたいと言わない翔が今回初めて行きたいと言ってきたのである。という事は余程某夢のテーマパークへ憧れを抱いているのであろう。
そうなってくると俺としては奴の夢の国行きを何としてでも叶えてやらねば、と思う。

(―――そうだ。もっとこいつには楽しく、やりたい事を沢山やって生きていてもらいたい)

あの頃、あれほど暗く苦しい思いをしたのだから。


「―――お!良い眺めじゃねーか!」

住宅街の中の緩やかな坂道を抜け、目の前に広がる景色に翔は歓声を上げた。

それは確かに美しい綺麗な景色であった。
小高い場所に位置するこの場所からは街全体を眺める事が出来、夕陽がオレンジ色に全てを染め上げている。
遠くには駅や、電車が走る姿が見える。
まるで、小さなジオラマを見ているかのような不思議な感覚であった。

「―――確かに美しいな」

―――だが。
此処からの景色は"見えすぎる"。

「こんな場所があるなんて、ここに越してきてから初めて知ったぜ。」

そう言って目の前の景色を見下ろす翔はキョロキョロと様々な方向を見ていたが、その目線が再度正面に向いたところでピタリと止まった。

ちょうど駅の更に向こう側。
住宅街やビル群など、まさに今現在人が居る建物が立ち並ぶこちら側とは違い、古ぼけた廃ビルや工場跡が亡霊の如くそびえ立つ、まさに廃墟と化した一角。


「―――第捨八区」


翔がぽそり、と低くそう呟いた。


第拾八区。その呼称は一般人には馴染みが無い。
大体あの一角は『旧帝鐵工業団地』や『工業団地跡』などと呼ばれる場合が殆どである。
かつて、あの一角は帝鐵株式会社という、製鉄技術を一端に多方面分野に於いて様々な研究開発を行っていた会社の工場や研究所が多く立ち並ぶ場所であった。
そしてあの地は、帝鐵が影で行なっていたとある技術開発ひいては国の第一企業としての地位を巡る最後の争いが起こった場所である。

企業同士の争いが国をも巻き込み武力抗争までに発展した『火帝抗争』。あの地は、人々にとっては『歴史の爪痕』といったところであろう。

そして、第拾八区という呼称は主に、帝鐵と戦った国内最大の企業『火鋤神(かすくがみ)株式会社』内で使われていたものである。

そして、俺も翔も、かつて互いに知らぬ者同士であったが、その会社に籍を置いていた者同士であった。

けれど。

研究職であった俺と、実際に戦った翔とではあの抗争への記憶の思い出がまるで違う。


あの廃墟も、こうして見るとある種の美しさがあるのだが、俺にとっては嫌悪すべき対象でしかない。

何故なら。


「―――翔」


過去に思いを巡らせる時。
普段の翔とは全く違う表情を、眼をするから。

冷たく、どこか残酷な表情。眼はどこまでも闇深く、どこか此処とは別の、遠い遠い先を視ている。

ぞわり、と湧き上がる感情が全身を駆け巡った。


俺の知らない世界を視ないで。
俺の知らない表情で、俺の居ない、俺の知らない過去を思い出さないで。
俺の知らないところで一人で苦しまないで。
どうか俺を置いていかないで。
俺を残して何処かへ行ってしまわないで。

俺の知らないお前にならないで―――!!!


「………七星(ななせ)」


気付けば、俺は持っていた荷物を落とし、奴の腕にしがみついていた。
どこか驚いた様子の翔の顔は、強い夕陽の逆光で何も見えない。

「―――寂、しくて」

己でも何を言っているんだと呆れ果ててしまう程の薄っぺらい言葉である。
自分がこんな言葉を吐いている事にさえ驚く。
ここは冗談だと少し笑ってさりげなく腕を離すべきだろう。
けれど、俺は翔の腕を話すことがどうしても出来なかった。

「―――七星」

翔はもう一度そう俺の名を呼ぶと、荷物を置き、そのまま腕を引き俺を引き寄せ抱き締めた。

「本当にお前は良い香りだ。それに見た目も中身もこんなに綺麗で暖かくて愛おしくて―――ああ、俺は本当にお前を愛しているよ」

絶対に何処にも行かない―――そう言った翔の顔はこの体勢からでは見えず、抱き締められた胸の中で想像するしかない。


その暖かい胸の中で、俺は己から溢れ出た感情の粒が静かに流れ、頬を伝うのを感じた。

12/19/2024, 4:38:36 PM