アシロ

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四月一日
初めに記しておくが、世間はエイプリルフールで盛り上がっていることだろうがこの記録に嘘や虚実、虚言は一切含まれていない。事実だけを書き記すと明言しておく。
とはいえ、これはただの趣味の延長線。なので極めて個人的なものに過ぎないということも、先んじて明記する。
今日手に入れた新しいペットは初めて飼う種なので、今後あれと共に生活していくために色々と模索を重ねる日々となるであろう。後の自分のためにも、観察日記のようなものを書かねばとこうして筆を執っている。
ペットというからには名前をつけてやるべきなのだろうか。しかし、あれはペットであると同時に観察対象でもある。変に情が湧いても厄介だ。どうするべきか。
何が好物なのか見当もつかなかったが、とりあえず今日は自分が食べていた食パンを半分目の前に置いてやった。あれは最初は怯えた様子を見せながらも、空腹には耐えられなかったのか両手を使い器用に食パンを口に運んでいた。どうやら食パンは食べることが出来るらしい。暫くはジャムやらマーガリンやら、食パンの味を変えるものを添えて好みを探るのもいいかもしれない。

四月五日
食パンに様々な味のジャムやらマーガリンやらを塗りたくって数日検証してみた。結論としてはどの味の食パンも胃に収めたが、特に苺のジャムに対しての反応が顕著だったように思う。他の味と比べて食パンへ手を伸ばすまでの時間がおよそ0.5秒ほど早かった点と、それに反比例するように食事にかかった時間は他のものよりも約2分程度長かった。食事をしている様子をまじまじと観察してみたところ、咀嚼の回数も他と比べて多いことがわかった。好物を味わって食べていたのであろう、という推測へと至る。次からは食べさせるものを果物へと変えてみようと思う。

四月十一日
苺、オレンジ、バナナ、葡萄、林檎などの果物を日毎に変えて食べさせてみた。やはり苺は好物なのか、一番量を消費した。しかしそれ以外の果物は、一日三食のうち良ければ二食、酷いと一食しか食べない時もあった。ジャムの時点で見当はついていたものの、果物だったら何でもいいというわけではなく、ある程度好き嫌いという概念が存在しているのだとわかる。しかしそれも誤差の範囲で収まっていると言えよう。今度は逆に、好物ではなく食べることが出来ないものを明らかにしていこうと思う。

四月十二日
生きた虫を食事の皿に乗せ差し出してやったら、キィキィ叫びながら皿から距離を取ろうと必死になっていた。明らかな拒絶の意思であった。一応念のため丸一日かけて様子を見たが、一口も食べないどころか皿に近付く気配すらなかった。どうやら虫はお気に召さなかったらしい。人間でも好んで虫を食べる奴らが居るというのに、あれは舌が肥えているのだろうか?身体の方は肥えているというよりも逆に痩せぎすなわけだが。

四月十三日
今日は好物の苺をやろうと皿を持ってあれの元へ向かったのだが、皿を持った自分の姿を見つけるとまだ距離が開いているというのにあれは恐れ怯えるように鳴き叫び、両手をブンブンと振り回して威嚇を始めてしまい、残念ながら近寄ることすら許してもらえなかった。せめて水だけでも、と水入れにミネラルウォーターを入れ傍へ置いておいたが、飲んだような痕跡は見当たらなかった。昨日のことがトラウマにでもなってしまったのだろうか?だとしたら悪いことをした。明日からは一旦生野菜で様子を見ていこうと思う。

四月十六日
生野菜での実験は、虫よりは上、果物よりは下、といった成果であろうか。とても好んで食べているという感じではなかったが、虫よりはマシだと踏んだのか単に空腹に耐えられなかったのか。無表情でただ義務的に口にしている、といった印象を受けた。ちなみに、この実験に移行した初日はまだ虫事件のことで警戒を顕わにしており、近付くのに苦労をした。やはり余程のトラウマになってしまったと見える。しかし心の傷なんてものは自分には治す術などないので、そこはあれ自身で傷を癒し克服してもらうよりほかない。心の傷というものは、どんな生物にとっても厄介極まりないものなのだという知見を得た。

四月二十日
警察が来た。何でも、近所で若い女性が行方不明になったのだとか。この辺りも物騒になったものだ。
玄関のチャイムにあれが激しく反応したため、玄関へ向かう前にあれを捕らえてしばらく地下室に閉じ込めておいた。真っ暗で何も聞こえない場所に居れば少しは興奮も収まるだろう、と。
途中で一度地下室の扉を開け聞き耳を立ててみたら、啜り泣くようなか細く弱々しい鳴き声が聞こえてきた。居眠りでもして怖い夢でも見たのだろうか?そもそもあれは夢を見るのだろうか?

四月二十一日
あれを地下室から出してやり、好物の苺を皿に乗せ渡してやったのだが、一つだけ食んでそれでおしまいだった。食欲がない?体調が悪いのだろうか?
そういえば、あれをこの家に連れてきてから風呂に入れてやったことがなかった。最近少し饐えた匂いを感じるようになってきたし、もしかしたらあれもそれが気になって食欲がないのかもしれない。明日は風呂に入れてやろう。

四月二十二日
あれは驚くほど抵抗した。虫を出した時と同等かそれ以上に。喚き声も今までの比ではないほどの喧しさだった。ただ風呂に入るだけだというのに。猫でももう少し大人しく風呂に入れられることだろう。風呂場へ引きずっていく途中で片手に思いっきり噛み付かれたので、思わず腹を加減無しに蹴ってしまった。そしたら丁度よくぐったりしたので、その間に手際よく風呂を済ませてやった。
風呂から上がった後も相変わらずぐったりしたままだが、清潔になったことだし少しでも食欲が戻ったことを期待し、苺を大量に乗せた皿を横たわったあれの隣に置いておいた。

四月二十四日
また警察が来た。何度も何度も鬱陶しい。近所で何件も通報があっただの、行方不明の女について本当に何も知らないのかと詰問されたりだの。一体何故自分が通報など受けねばならないというのか。行方不明の女に関しても自分は全く情報など持っていないというのに。
自分はただ、その辺に転がっていた生物を持って帰ってきただけだ。そして、それをペットとし世話をし躾をしてきただけだ。それの何がいけないと言うのか。
そもそも、だ。人間を“人間”というカテゴリーで一纏めにすることに何の意味があるのか。自分以外の人間は生物学上確かに“人間”に属する種であるのだろうが、“人間”であるよりも前の前提として“生物”である。自分以外の人間は総じて、“己とは何もかもが異なる未知の生物”だ。未知への探求は人類の生活をより豊かにしていく。自分はそのための手助けをしているに過ぎない。悪いことなど何一つしていない。警察にだって神にだって仏にだって胸を張って宣言出来る。自分は人間の役に立っているのだ、と。
ああ、結局あれに名前をつけるかどうするか、悩んだままであった。でも、もう今更どうでもいいだろう。あれに名を付けたら、“人間”として認識したら、そのまま自分は怒りに任せてあれを殺してしまうかもしれないからだ。そんな悪いことをしては、自分は罪人になってしまうではないか。せっかくいい研究対象を捕獲出来たのだ。これからもこの未知なる生物についてより深く解明していかなければ。



 ──行方不明女性拉致監禁事件の容疑者が残した日記より抜粋。

2/26/2025, 1:18:30 PM