わたあめ。

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雨がしとしとと、降り続いている。


この喫茶店に入って数時間。雨は降り止まず、傘を持っていない私は、ただひたすら珈琲をスプーンでかき混ぜながら晴れるのを待つしか無かった。


さすがに、珈琲一杯頼んだだけで数時間も居座るというのは図々しいにも程があるので、途中サンドイッチやオムライス、ケーキなど頼んでみたが、フードファイターでもない20代女性の胃袋にも限界がくる。もう食べ物の入る隙間はどこにもないだろう。

そもそもこの梅雨の時期に、何故傘を持たずに出歩いてしまったのか。

実は、彼女の家はこの喫茶店から徒歩10分圏内にある。
元々喫茶店の隣にある文房具屋に用事があり、済ませて帰ろうとしたところ雨に降られたのだ。

出かける時間に雨は降っておらず、すぐに帰るなら平気だろうと、彼女の油断が招いた結果だった。

小雨にでもなってくれれば走って家に帰るのだが、傘もささずに帰れるほどまだ雨脚も弱まってなかった。


退屈、と。彼女が代わり映えのしない景色に飽きてきた頃、ふと人影がこちらに近づいてくるのを目の端で捉えた。


カチャ。


小さな音。
ガラスの食器がテーブルの上に置かれた音だった。

ウェイターの格好をした、30代前半くらいの男性。
髪は少し長いのか、後ろで括っている。
紙製のマスクをつけているので、顔は上半分しか見れない。
ぱっちりとはっきりした目に、困り眉をした優しそうな顔だった。


彼が置いたガラスの皿には、クッキーが数枚。


『あの、頼んでませんが?』


そもそも、メニュー表の中にクッキーなんてあっただろうかと記憶を遡ろうとする前に、目の前の男性が答えた。


『サービスです。何も無く雨宿りするのも退屈でしょう。随分待たれているようですし。』


見た目とは裏腹に、とても低い声が店内に響く。


しかし、もう私の胃の中にこの数枚のクッキーでさえ入る隙間は全くない。
ご厚意に甘えたいところだが断ろうかと考えていると、再び男性が口を開く。


『ゆっくりでいいので。沢山頼まれていましたし、まだお腹もいっぱいでしょう。残しても構いませんから。』


そこまで言われてしまっては、さすがに断るのも忍びない。「結構です。」という言葉が喉元まで来ていたが、なんとか抑え込み、静かに「頂戴します。」と呟いた。

男性は嬉しそうに目を細め、窓の外に視線を移す。


『昼前からずっと止まないですね。予報だとそろそろなんですが。』

『そうですね……こんなことなら、傘を持ってくれば良かったなぁ。』


苦笑いしながら、クッキーを一枚頬張った。


さくっ。

口の中に広がる、バターの香りと、チョコの甘み。


私は、___この味を知っている。


キョトンと、クッキーを見つめていると、
男性はニッコリとまた笑う。


『美味しいですか?』

『え、あ、はい。とても……』

正直、今の私にとって味の善し悪しは問題では無い。
確かにこの喫茶店に来たことはあるが、そもそもメニューにこのクッキーは存在しなかったはずだ。

とすると、サービスを以前に頂いたことになるが、さっぱり記憶にない。


『お気に召して頂けて何よりです。』

男性は一礼して、スタスタと厨房の方へ戻っていってしまった。

狐につままれたような感覚で、もう一度クッキーを一枚口へ運ぶ。

『……おいしい。』


一枚目と同じ、あたたかく優しい味がした。





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雨は嫌いだ。


雨が降る日は良くないことばかり起こる。
転んだり、交通機関が乱れたり、洗濯物が乾かなかったり。
会社が倒産した時も、雨がザーザー降っていた。




『また雨か…………』


その日も、しとしとと雨が降っていた。
職を失った後、知り合いのツテで小さな喫茶店に就職。まだ働いて一年経ってないといったところだが、ようやく仕事も板についてきた。


雨の日ということもあり、客も少なくゆるやかに時間が流れていった。
店内にいた最後の客の会計を済ませ、あとは閉店時間までゆっくりしようかと思った、その時だった。


『っ……ぐす。』


すすり泣く声が聞こえた。

思わず振り返ると、窓際の席に女性が一人、ポツンと座っていた。

先程会計した客が最後と思っていたが、どうやらまだ残っていたようだ。


(あれ、確かもう一人連れがいたような。)


思い出した。
確か昼頃、男性と二人で入ってきた女性だ。

二人とも暗い顔で入店してきて、珈琲を確か二つ頼んでずっと静かに話していた気がする。
もちろんプライバシーもあるので、あまり話は聞かないようにしていたのだが……。


(喧嘩か……もしくは別れたか?)


雨のせいで二人とも暗い顔をしていたのだろうと思っていたが、どうやら違ったようだ。
きっと、静かに話していた時に色々話をしたのだろう。
それがどんな内容かは分からないが、良い話では無さそうだ。

『ぐすっ……ひっ……くっ……』


声が店内に響き渡る。

今この空間にいるのは、女性と自分の二人。

きっと客もこの時間から来ることはほとんどないし、しかも雨の日なので閉店時間まで客はこの女性だけ。

しかし、すすり泣く女性を放ったらかして店じまいを進めるのは、何か人として欠けてるような気がした。


一店員と客に過ぎない。

何も考えずに「どうしたのか。」と聞くのも馴れ馴れしいだろうし、喫茶店の店員ができる何か良い励ましはないかと、頭を抱えてしまった。


ふと厨房を見渡した時、おやつ用に作ったクッキーが目に入った。

自分用に作ったお粗末なチョコチップクッキーだったが、そこに一筋の光が見えた気がした。

迷いはあったが、行動あるのみと自身を奮い立たせ、いそいそとお皿を準備し始める。


クッキーを数枚取り、お皿の上へ盛り付けて、そーっと彼女の座る席へと向かう。


カチャン。


クッキーをテーブルに置くと、泣いていた女性は体をビクッと震わせ、俯いていた顔を上げた。


鼻を真っ赤にして、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
目を丸くして、見つめてきた。


『サービスです。よろしければどうぞ。』


声が震える。
こんな風にするのは初めてで、正直柄では無い。
もし、断られてしまったらと内心ドキドキしていた。

女性は目をパチパチとさせた後、クッキーに視線を戻す。
一枚慎重にとって、さくっ、と頬張った。


『……』


女性はクッキーを飲み込んだあと、また一枚クッキーを取り口へ運ぶ。
口にあったのだろうか?

声をかけようとすると、女性がこちらを向いた。


『美味しい、です。』


目に涙は浮かんでいたものの、ニッコリと笑いながら女性は言った。

雨は止んだのか雨音は聞こえず、日が差してきたようで、少し明るくなっていた。

女性の顔が日差しに照らされ、不謹慎かもしれないが、


美しい、と、思ってしまった。



#梅雨

6/1/2023, 2:53:28 PM