「もう全部うんざりなんだ。
放っておいてくれ。」
限界は突然来たみたいだった。
気付いた時には音を上げていた。
よりにもよって、君に向かって。
一度言葉にすれば後戻りができなくなる。
淀みは着々と私を飲み込み、ついに怪物となった。
怪物は私が眠ることさえ許さなかった。
寝転がると奴の怒号が聞こえるから、致し方なくベッドに腰掛けていた。
どれ程そうしていたか分からない。
「いつまで篭ってるつもりなの。」
痺れを切らした君が扉を叩きに来た。
「放っておいてくれと言っただろう。」
「私は、何があっても君の傍に居たい。」
実に君らしい言葉だ。
それを救いと受け取る自分がもういない事を、まざまざと見せつけられているようだった。
「簡単に言うな。」
絞り出した声の全てが情けない言葉に変わる。
見限った君が扉を開けた。
私の様子を窺わずにはいられないのだろう。
合わせる顔などあるわけもなく、ただ床を見つめていた。
しかしその努力も虚しく、口からは皮肉が止まらない。
「入ってこないでくれ。」
「私は君が想像しているような人では無くなった。」
「こんな人間に構うのは、馬鹿のすることだと思わないか。」
君は何も答えない。
やがて秒針の進む音以外、何も聞こえなくなった。
いっそ私を一思いに罵ってくれ、頬でも打ってくれと本気で思った。
沈黙を破ったのはズンズンと近づいてくる足音だった。
君は私の足元で腰を下ろし、一つ呼吸をしてから口を開く。
「私が君と出会った日のことを覚えてる?」
そんな昔のこと、ちゃんと覚えていない。
静かに首を振った。
「私は覚えてる。丁度この季節の、今くらいの時間だった。
君は全てを背負い込むみたいな、思い詰めた目をしていた。私が近づくと、その目で私を睨んだだろう。
君を好きになったのは、あの時だったと思う。」
君は寡黙な私に反して、よく喋る方だ。
しかしこういった話は一度も聞いたことがなかった。
「私は君が美味しくご飯を食べてくれたら幸せ。
君の赤子のような寝顔は、私の1番の癒しだ。
でもね、」
明け透けでいて実は強情な君が、大事に隠していた秘密。
「私はあの顔が今でも忘れられない。」
迷いのない声が私の耳を射抜く。
君は祈るようにして私の手を握った。
「顔を上げてよ。
きっと君は今、あの時と同じ目をしている。」
重たい重たい首が、自然と伸びていく。
視界が鮮明になる。
久しぶりに肺を使って息をした気がした。
君が優しく微笑みかけている。
それはいつもと変わらない笑顔だ。
悪趣味だな。
私はか細く文句垂れたあと、堰を切ったように泣いた。
4/5/2024, 9:42:15 AM