ヴェルタース

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『みかん』

 美緒は、みかんの白い筋を取るのが嫌いだった。

 面倒だし、手が汚れるので。

 「みーちゃん、はい」 

 康太が剥いてくれたみかんは、筋がひとつもない。

 几帳面で、優しくて、控え目な指先が、ほんの少し美緒の手のひらに触れた。

 みかんを剥いてほしいと美緒が頼んだことはない。

 勝手に、康太がやってくれたことだった。

 側にいてほしいと美緒が頼んだことはない。

 家が隣だったから、気付けば幼馴染としてずっと一緒に過ごしてきた。

 


 「ごめんね。おれ、……ゲイなんだ」

 17回目の冬。

 困ったように笑った康太の白い息が消えていく。

 「あたしこそ、ごめん」

 なぜ謝ったのか、美緒はわからなかった。

 なんとなく、予想していたことだった。

 それなのに、いざ眼前に突きつけられると、心に氷柱が生えたかのように痛んだ。

 「じゃあ、これからも………」

 友達としてよろしく───その言葉は美緒の喉に引っかかって、結局かたちにならなかった。

 美緒は、逃げ出した。

 走った。

 肺に冷たい空気が流れ込み、痛い。

 ───美緒は、男勝りな女の子だった。

 ───康太は、いつも美緒を「かっこいい」と褒めた。

 「おかえりー」

 家に逃げるように転がり込むと、母親の呑気な声が台所から聞こえてきた。

 ───少しでも、ほんの少しでも、チャンスがあるんじゃないかと期待した。

 「あたしはバカだ」

 リビングの床に崩れ落ちた美緒の目線の先には、コタツの上にみかんがいつもどおり無造作に転がっていた。





12/29/2024, 2:22:39 PM