木菟

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不条理

昨今「親ガチャ」なんて言葉が論争の議題となることが多々ありますがあれは何故でしょう。
僕は思うのです、肯定も否定もおかしいと。
何故か、それは。
肯定意見は「生まれる場所は選べない、その場に産まれたらこんな親だった、こんな家だった親ガチャ失敗辛い」など
否定意見は「生まれる前に子は親を選んでる、この親がいいとそこに来ている。結果そうゆう人だっただけだ」など
肯定意見は現状を見ていて客観視はほとんどしていない。
否定意見は神とかその領域の話をしていて現実を見ていない。
どちらも個々の感覚次第な意見だから、僕は肯定も否定もおかしいと思う。

社会の不条理がその格差を産み、救われない環境を生み出している。
僕は実際虐待・毒親・ネグレクトの家庭の中で育った、確かに親が悪いとはとても言いたい。
けれどそれが全てなのか?
僕が色々思って我慢の限界が来るように親も一人の人である。
僕が見えてない世界で親はどんなことに晒されているか、僕には到底想像もつかない。
家族であっても、どんなに近い存在でも。
誰一人として自分以外がどんな体験をしてどんな風に世界を見ているか誰にも計り知れないものだと思う。

自分の状況下になっている原因は「自然災害」「世界情勢」「社会的格差」などの親にもどうしようもない問題からかもしれない。

大人になった今思う。
あの人は自分の置かれた状況の中で精一杯だったのだろう、だからと言ってしていい事では無いけれど。
それでも懸命に自分なりに生きていたのだろう。
僕は全てを考え感じ踏まえた上で僕の力にして行こう。
これから僕の行く未来が良い道になるように、それが良いように次に繋がるように。
許しは出来ないけど、受け止めることは出来るから。

3/19/2024, 3:41:40 AM