長かった髪を切った。
今はあまり言われなくなったらしいが、女というのは失恋したら髪を切るものだと聞いたから。
大好きだった、いや、今も大好きなあの人がいいねと言ってくれた私の髪。
今は無残にも床に散って嫌悪感を覚える様な様相だ。
眺めていると「すっきりしましたね~。ショートも似合ってますよ」なんて、床の様相を私の注文で生み出してくれた美容師が笑って言う。
嬉しくて普通に照れた。今は彼女の言葉がお世辞かどうかは考えないでおこう。
財布は少し軽くなり、頭部は随分と軽くなったが、欲張りな私は気持ちも軽くしたくてなんとなく近くの公園に来た。
恋なんて知らなかった小学生の頃みたいに、遊具ではしゃいでやろうかと、いつもなら絶対思わないことを思い付き、その思い付きのままここに来た。
昼過ぎくらいの中途半端な時間だったが人がちらほらいる。
頭の中で、ヤケになり暴れてやろうかと意味もなく思っていた私に、ゆらりと現れたもう一人の私が囁く。
「その歳で子供に交じって遊具で遊ぶつもり?」
確かにそうだ。ここで目立つ動きをしている人間と言えば小さい子供がほとんどだ。
私は一瞬、それになりたかったわけだが、どれだけ心に童心を宿したって体は縮んでくれない。
躊躇し、その場に立ち尽くしていたのはどれくらいだったか。多分数分程度だと思う。
「姉ちゃん。お腹でもいたいのかよ」
やや下の方から声がした。この状況から考えるに、私に声をかけたのだろう。そちらへ視線を向けると。可愛い顔。男の子だ。
私は子供に詳しくないから、どれくらいかははっきりとわからないが、多分小学生だ。低学年だろうか。
私をまっすぐ見つめている。邪魔だったかもしれない、と罪悪感と焦燥感がわいてくる。
「しゃべれねーの?」
男の子は少し首をかしげて私へ一歩近づく。
「いや……」
焦って言えたことはそれだけだった。数秒程度の沈黙。
「ふぅん。ならよかった。姉ちゃん、かみの毛みじけーのにかわいーな。そんな下みてるともったいねーよ」
少し下からの、太陽のような眩しい笑顔。まるで夏の日差しに焼かれたように、顔が熱くなる。
「へへ。てれてる。おれ、姉ちゃん……あ、本当の、家にいる家族の姉ちゃんなんだけどな。姉ちゃんたちもこうやってかわいいって言うとうれしそうにするんだ」
「へえ……。なんか……すごいね。かっこいい」
やっと言葉が出せた。少し掠れていたが、素直な感想だった。
「かっこいい!? そんなんはじめて言われた! おれ、かっこいいか?」
「うん。女の子に素直に誉め言葉言えるの、すごいと思う。かっこいい」
「へへ。そっか。そっかあ」
私たちの間に言葉が途切れた。お互い照れて空気がふわふわして、くすぐったい。悪い気分じゃなかった。
「……ありがとう」
「ん? 別に。大したことじゃねーし」
「実はね。ここが痛くて。辛くて、気が紛れるかなって、髪の毛ずっと長かったのに切っちゃったの」
両手で胸の真ん中を抑える。心の所在がここかは分からないが、悲しくてどうしようもなくて、ぎゅっと縮んで苦しかった場所だ。
また少しの沈黙。きざなことが突然言えるからって、相手は小さな男の子だ。いきなりこんなこと言って、困らせてしまっただろうか。
「今はつらくねーの?」
「マシになった。君が褒めてくれたし」
「そうか。よかった!じゃあ長いのも見たいな。また伸ばしたら見せてよ」
「え」
「おれ、いつもここで遊んでるから」
戸惑って返事に困っていると、遠くから男の子を呼ぶ声がしたらしく、彼は私に手を振って行ってしまった。名前、聞き取れなかった。私も名前、教えてない。髪の毛、伸ばすとも言ってないし。
でも、悪い気分ではなかった。彼の言う通りまた伸ばしてみようかな。
その頃にはまた新しく胸が高鳴るような恋が見つかるかもしれない。
そうしたら、またこの公園に来よう。
風が一筋吹き抜ける。
心臓が、少し早く鼓動を刻んでいた。
あぁ、どうか。まだもうちょっと、私がちゃんと歩き出せるように。この高鳴りを、
『終わらせないで』
11/29/2023, 2:22:48 AM