夢が醒める前に
「今日は何処へ行くの?」
「別に」
答えにもなっていないことを返しながら、私はつかつかと歩く。彼女の方は振り返らない。
小さな銃と何枚かの銅貨、それが私の持ち物全部だ。まさかそれを狙っているわけではないだろうが、黒い艶々とした髪が視界の端にチラチラ覗いて、私は一層足を早める。
「ねえ、何処行くの。ねえってば」
彼女は食い下がってくる。けれど、口調は笑っている。無視してもキツイ言葉を吐いても、彼女は怒らない。
いつもならもう相手にしないけれど、今日は数歩進んだ後に足を止めた。彼女が不思議そうに私の正面に回ってくる。あいも変わらず綺麗な顔だ。
「……どうしていつも着いてくるの。私に付き纏ったってどうしようもないのに」
「え?どうしてって?」
首を傾げる彼女。
「……もういい」
苛々する。
私はふいっと顔を背けて再び歩き出す。彼女は追って来なかった。
鼻につく草の甘い匂いを振り払うように上を向くと、天いっぱいに張り巡らされた格子が蒼天を覆い隠していた。金の鳥籠。
何処へも行けないことなんて、分かっている。
その証拠に、歩いても歩いても終わりに辿り着いたことはない。
「ねえ」
振り返ると、彼女は「ん?」と再び首を横に傾けた。その純粋無垢な顔が嫌いだった。一人ぼっちの私に纏わりついてくる無神経な無邪気さが憎らしかった。
あの雨の日に笑顔で傘を差し出してきた時から大嫌いだった。
「貴女は誰なの」
彼女は笑った。
「君をずっと見ていたよ。歩いても走っても何も変わらないのに、毎日毎日何処かへ行こうとしていたね。逃げたいわけでもないのに」
「悪い?」
「ううん。面白いよ」
私は彼女に近づいた。黒く澄んだ瞳が、私を射貫く。彼女が笑う。綺麗な顔、綺麗な目、綺麗な笑顔。
その瞬間、私はポケットから銃を取り出して構えて間髪入れずに引き金を引いた。
パーン……
その破裂音の後、草の上に倒れていたのは私の方だった。
彼女は広がった血溜まりを一瞥して、また、笑った。
「あ……が……?」
「さようならだね。本当はもう少し見ていたかったけれど」
声が出せない私に、彼女はそう言う。まさか本心なのかと錯覚するほど寂しげな表情で。
「大好きだったよ。この鳥籠から羽ばたこうとした、愚かな君が」
孤独に戻るくらいなら、ここで終わらせてあげる。
彼女はそう言い残し、くるりと踵を返した。
「ま……っ、ぇ……」
私は震える手を伸ばす。
あの時差し出された傘は、私の宝物なのだ。
それだけでも、伝えたかった。
3/20/2024, 1:52:02 PM