彼らのことを夫婦と呼び出したのは今は遠くに居る彼らの幼なじみだった気がする。若い頃から刷り込みのようにその言葉を聞いていた僕らはそれを自然に受け入れた。
彼らのどういうところが夫婦かと言えば、言葉の要らぬ関係であることを僕は挙げる。テレパシーでも使っているのかなと思うほどあの人たちの間に言葉は無い。挨拶、といってもおぅ、と言って目線を上げるだけ(しかも目は合わせていない)だ。
でもきっとお互いのことをよく見ている。
そもそも旦那(と呼ばれる方)は嫁さん(と呼ばれる方)をチラチラチラチラ見ているし(声かければいいのに)見られている方も、あれ?と何かを旦那が探しているそぶりを見せると「コートのポッケ」とボソリ呟く。旦那があぁ、と声を出す。
お目当てのものは見つかったらしい。ありがとうくらい言えばいいのに。
彼は普段から物凄く察しの速い人であるというのが大前提だが、でもこれは異常だ。だって何を失くしたのかあの人は口にしていないから。つまり彼だってあの人のことをしっかり見ているのだ。言わないけど、あの人の行動を見て、『そのままポッケに入れたこと忘れそうだな』と思っていたということだ。
言葉にすればいいのに。僕達に対する世話焼きなおかん基質はどこに行ったんだろうか。
ーーなんだかんだ2人とも照れ屋やからなぁ!
と、ギターを弾いていた彼がが言った。
ええ、それってそういう風に括ってしまっていい問題なんだろうか?もしそうだとしたら……
ーー愛でたい夫婦やな!
身長の高いぼくらの末っ子がそう言って豪快に笑った。
11/23/2024, 10:04:33 AM