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冒頭、少し百合っぽい表現があります。
苦手な方は「次の作品」をポチッとして、自衛をお願いいたします。
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『 誰もいない教室。
グラウンドから聞こえてくる喧騒。机の隅の甘ったるいイチゴミルクの香り。ノートの上に綴られていく記号たち。
廊下側の窓を開けてみる。湿度をまとった空気が重たく肌にのしかかった。不快指数は上がるものの皮膚を撫でる風はほんの少しだけ冷たい。
まだ、胸の奥が痛かった。
自然とシャーペンを握る手に力が入る。
昨日、人けが少なくなっていくこの教室で、あなたは彼を待っていた。知っていたから私は勉強をしているフリをして、ささやかな邪魔立てを企てる。
しばらくして彼が来た。いつもクールで大人びたあなたが、小さな子どもみたいに白い歯を見せて、目尻を下げて、頬を染めて破顔する。眩しくきらめいたあなたの笑顔に私は胸が苦しくなった。あと何回、私は恋に落とされてしまうのだろう。
それなのに。顔を隠して寝たふりをしてまでも、私はあなたを目に焼きつけたい。
あなたの短い黒髪に、骨張った太い指が触れた。熱で潤んだあなたの瞳と赤らんだ頬、綻んでいた唇が羞恥心で萎む。溢れる劣情を必死に飲み込んだ。
嫉妬に塗れた惨めな私なんて、最初から彼女たちには見えていない。
彼が身をかがめて、あなたは静かに目を閉じた。近づいていくふたりの距離。現実を受け入れるのが怖くて、それでも目を逸らすことはできなくて、視界が歪んでいった。
パチン。
ふたりの距離の隙間から、乾いた音が教室に響いた。
「痛くない?」
「平気……」
「似合ってる」
「ありがとう」
ふたりの初々しく控えめな声は、私の傷口を容赦なくえぐった。
黒髪を飾る小さな金木犀。燃えるようなオレンジ色があなたの黒髪に艶を与えた。
彼はあなたにとてもよく似合う、オレンジ色をしていた。明るくて、爽やかで、優しくて、柔らかくて、甘い。
そのオレンジ色を彼はあなたに刻みつけた。
嗚咽を堪えるために唇を噛む。揺れる肩を押さえるために腕に爪を食い込ませた。それでも涙はとめどなく流れていくから息を潜める。
そうしているうちに、ふたりが教室から出て行った。
廊下の足音が聞こえなくなるまで、声を殺して泣き続ける。
スカートのポケットから紫陽花の刺繍の入ったハンカチを取り出し、涙を拭った。
席を立ち、そのハンカチをゴミ箱の奥に隠して捨てる。
失恋を捨て、訪れたばかりの秋を捨て、大袈裟に廊下に足音を響かせた。
さながら私は悲劇のヒロイン、傲慢に夏の終わりを慈しむ者。』
*
キリのいいところまで書きあげて、パソコンの電源を落とす。
背後にくっついていた彼女がため息をこぼした。
「……ひねくれ者」
「勝手にのぞいておいてうるせえです」
体を捻って彼女と向き合い、青銀の髪に触れた。
からかいを含んだ笑みに複雑な心地になる。
「その顔やめてください」
「えー?」
「キスできないじゃないですか」
俺が不貞腐れたら彼女は挑発的に唇をつり上げて、俺の頬を撫でた。
真っすぐ射抜いてくる視線が傲慢に光る。
「だったらその気にさせてみなよ」
「なるほど。わかりました」
俺は立ち上がって、彼女の右手を取る。
リビングを出ようとする俺に、彼女は戸惑いを隠せない様子で首を傾げた。
「え、どこ行くの?」
「ベッドですよ? その気にさせたら、いいんでしょう?」
「はあっ!?」
わかりやすく狼狽える彼女の前で眼鏡を外す。
ついでに彼女の負けず嫌いを煽った。
「がんばるので、なるべく早くギブアップしてくださいね?」
「あ? どうせ先に根をあげんのそっちだろ?」
その言葉を合図に俺たちの間でゴングが鳴る。
彼女の背をベッドシーツの上にそっと押しつけた。
「今日は譲りませんよ。がんばるって言ったでしょう?」
「ほーん?」
「早くそのかわいいお口にチューしたいんで♡」
キスしたい俺と今は気分ではないらしい彼女。
彼女がキスを拒否しない時点で俺の勝ち筋しかなかった。
本当に、こんな薄い防御壁でよくもまあこれまで無事でいられたものである。
俺は、彼女の体に手を伸ばした。
『誰もいない教室』
9/7/2025, 1:03:59 AM