紙ふうせん

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『恋物語』

ずいぶん、日が長くなった。
そう思いながら、会社からの帰り道、まだ少し明るいので、ちょっと寄り道をしたくなった。

私のお気に入りの書店。

お店には、年配のおじさんがひとりでいつもいる所だ。
「ギィ」と軋むような音がする、年季の入った木の扉を開けると
「いらっしゃいませ」と静かな声。

あぁ、これがいいんだ、と私は思う。

音楽もなく、お客も少なく、みんな静かに本を選んでいる。

ここは、本好きしか来ないだろうな、といつも思っていた。

ときおり、コーナーを移動する静かな靴音と本の頁をはらり、とめくる音。

私の好きなコーナーを見ている。と、
目についた小さな本があった。

取り出してみると文庫本サイズの本で、表紙がハードカバーのそれのように、とてもしっかりしている。

タイトルは『恋物語』とあった。

私が戸惑ったのは、タイトルに似つかわしくない、艶消しの黒の装丁だったから。

その中に、白い字でタイトルが書かれているのだ。

(なんだか喪に服しているみたい)

その本は、見た時からそう思えてならなかった。

不思議な気分だった。

そして、好奇心がムクムクと出て来て

気がつくと、店主のおじさんの前に立っていた。

「これ、ください」
そういうと、店主は口元に笑みを貼り付けながらこう言った。

「お客さん、ときおりいらっしゃいますね?」

不意に言葉を投げかけられ少し驚いたが、客商売なのだ。会話くらい。

「ええ、私、このお店の雰囲気がとても好きなんです。静かで」と言うと、

「お客さん、かなりの本好きですよねぇ。そうでなきゃ買わない様な本ばかりを選んでらっしゃる」

不意に言われ、また少し驚いた。
買っていく本まで覚えているなんて。

すると、それを察したように店主は、「うちは、ベストセラーの本とかは置かないので、自然と本好きなお客さんばかりになるんですよ」

なるほど。たしかに大きな書店に平積みにされて、派手な謳い文句がつけられている様な、そんな本はここには無い。

「ありがとうございます。また、いらしてください」代金を支払い、会釈をひとつして、本を受け取り店を後にした。


お風呂上がりの夜、さっき買ってきた本が気になり、開いてみる。

タイトルが入っただけの頁の次は、目次だった。

どうやら3つの小説が入っているようだ。

私はそれを見て、首を少し傾げた。

       《目次》

1 予感と期待
2 苦悩
3 その時
あとがき 

「なんか、変わった本……なのかな」

とりあえず「1」を読んでみようと、本を開いた。そこに書かれていたのは

「予感は、いつも違った形で訪れる。
そして私は期待する」

そしてパラパラと頁をめくったけれど真っ白な頁が続くだけだった。

「2」も似たような物だった。

「苦しい、辛い。こんなにも辛いのは彼女のせいなのだ。私はどうしたらいいのだろう」

そして、やはり何も書かれてはいなかった。何なのだろう、この本は。

最後の「3」を開いた。

「やはりやるしかないのだ。でも、私にできるのだろうか。いや、やらなくては、私達は幸せにはなれない」

私は、もはや呆れてしまっていた。
一応、「あとがき」も見てはみた。

やはり、真っ白な頁があるだけ。

「何、これ。こんなの本とは言えないじゃないの」とつぶやき、この本をどうするか、考えた。

買ったその日に、処分はできない。

頃合いを見て、処分しよう。
そう思うと、無駄なお金を使ってしまった、と少し腹立たしくもあり、その本を無造作に本棚に閉まった。

そんな事もすっかり忘れていたある日、会社の同じ課の同期の子がパソコンに「知ってる?今日からこの課にひとり入ってくるんだって。しかもかなりのイケメンだって!独身だってさ。どう?何だかときめかない?( *´艸`)ムフフ」と顔文字付きで送ってきた。私は見つからないように、

「くだらない事を言っているヒマがあったら、さっきの書類、早くお願いね」と送ると、すぐに

「あいかわらずの真面目ちゃんね!
はいはい、すぐやります〜(๑¯ ¯๑)」と返ってきて、クスリと心の中で笑った。

「新しく、本日付で配属されました、間宮智也です。皆さんの足を引っ張らないよう、1日も早く仕事を覚えがんばりますのでよろしくお願いします」と言うと拍手が起こり、課長が、
「そうだな、柏木くんの横が空いているので、柏木くんに分からない事は聞くといい」と言った。

それは、私、柏木さつき、の横だった。
あまりそういうのに疎い私でさえ、独身の女子社員達の刺すような視線を感じた。(仕事を教えるだけじゃない、馬鹿馬鹿しい)と思いながら、

「間宮さん、私、課長に言われた柏木さつきです。何かあったら私のわかる事なら言いますので」と言って、
間宮を見た。
まあ、イケメンなのは認めるけど。
と思いながら、結局は仕事ができるかなのよ、と思った。

「柏木さん、出来たのですが、これでよろしいですか?」
「あ、はい。では課長に渡してきて下さい」と言いながら、仕事の飲み込みの速さに驚いていた。

その週末、間宮の歓迎会があった。

本当は、もっと早くにやるはずが、思いがけない仕事が入り、延び延びになっていた。

もちろん、独身の女子社員達は、仕事が終わるとロッカールームで念入りに、しかしナチュラルに見えるようメイクを直し、ヘアスタイルまで変えて
いた。
驚いたのは、私以外、全員の私服が合コンのそれのようだった事だ。

パソコンで、いち早く間宮の情報提供をした、倉石まさみも気合いが入っていて、いつも通りなのは私だけだった。

「ちょっと、さつき!あんた、出遅れてるじゃない!隣にずーっといるクセに」とわざわざ言いに来た。

「だって、ただの歓迎会」と言いかけると、まさみは私を隅にグイグイと連れて行き「さつき、気をつけなよ。これはみんながライバルなんだから。誰がトモ君をモノに出来るか」

私は意味がわからず、戸惑いながら
「ごめんね、トモ君て誰?」と言うと
「あんたのお隣の間宮トモ君じゃない!!」とまさみが言った。

私はもう帰りたくなった。

「柏木さん、お疲れ様です。どうぞ」
「あ、どうも」そのトモ君、もとい間宮君からお酌されて口だけつける。

「アルコール、苦手ですか」と聞かれ
「うーん、というよりこういう場があまり性に合わないだけ。ごめんね、今日は間宮君の歓迎会なのに」

先程から、可哀想に、間宮は上司や先輩男子に挨拶に行きかけると、誰か誰か、女子につかまり、困っているようだった。

そして、ようやく上司と先輩に挨拶を終え、席についたのだ。

「間宮君こそ、お疲れさま。質問攻めにあって辟易しているのじゃないの?」と微小を浮かべて私がお酌すると
「いやー、女性の多い職場は初めてなので、ただただもう、驚いちゃって」と言い、そこで人懐こい笑みを浮かべ

「柏木さん、お疲れ同士、別のお店に行きませんか?」と言った。

次に間宮が連れて行ったのは、落ち着いた感じのいいお店だった。

するといきなり、彼が手を掴み
「仕事以外では、さつきさん、って言っていいですか?」と言った。

その仕事中とは別人のような、甘い吐息混じりの声に、私は何も言えなくなってしまった。

はあ〜、たしかにイケメンだわ。
でも、あまりにも揃いすぎていて、逆に私は妙に気持ちが覚めていた。

「ごめんなさい、私にはそんな器用な真似、出来ないの。間宮君は私が教えるべき後輩、それだけなの」と言うと

ぽかんとしている間宮を残して
「ありがとう、これ、ここのお勘定」と言って、お疲れさま、と言い私は家に帰った。

シャワーを浴びてパジャマになると、ふと思いついて、あの本を出してみた。

頁をめくり、目次を見ようとしたが、なかった。さっきはあったのに。
それどころか、中を開くと、よくある恋愛小説になっていた。

(私、よっぽど疲れたんだ)と思うと、本当に疲れが出てきてベッドで一気に眠ってしまった。

朝、目が覚めて伸びをして、ハッとして「い、今何時?!」と、血走った目を時計に向けると気がついた。

今日は土曜日だ。
お休みだった。

あれ?本は?
夕べ開いたら、あの変な目次もなくて、中は普通の恋愛小説になっていたのだ。
それを読みながら寝たのだから….。

しかし、ないのだ。

ベッドの布団をどかしても、挙句はマットレスの隙間を見ても本棚を見ても、どこにもない。

「私はよっぽど、恋には縁遠いんだな〜」本までいなくなるなんて。

間宮も、この後きっと誰かと付き合い始めるのだろう。
それもひとりではなく、何人かとうまくやるのだろう。
妙に手慣れていた気がする。

「気をつけないと、下手するとあの本にあったみたいにドロドロの刃傷騒ぎになるよ」と何気なく言ってから、ハッとした。

もしかして、あの本は、望む持ち主を探して現れるのではないのか。

そして、役目を終えると、また目立たない本屋の棚に並んでいて、誰かが手に取る。

急に動悸がしてきた。
だけど、外でチュンチュンと鳴くスズメの声と明るい青空が、馬鹿な考えを払拭してくれた。

「休みなら」また寝なおそう。
そう思って私は何事もなかったかのようにベッドにもぐった。

5/18/2023, 2:06:51 PM