七星

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『上手くいかなくたっていい』

久々に訪れた母校の私立大学は、夏季休暇期間中だというのに、学生たちの声で賑わっていた。サークル活動に打ち込んでいる者、勉学や研究に熱中している者など、多くの学生たちが構内に出入りしている。

学生の頃は、まさか自分が文化会サークルの特別講師として招かれることになるとは思ってもみなかった。現在交際中の藤崎亜実にそう話したら、彼女は品のある笑みを浮かべて言った。

「文化会OBの中で、隆太がそれだけ有名ってことだよ。自信を持って行ってきなさい。たとえ上手くいかなくたって、私は隆太の味方でいるよ」

まるで最初から俺が失敗することを期待しているような言い方にむっとしながらも、怒る気にはなれなかった。講師控室となっている六号館二階のゼミ室へ向かう途中も、亜実の優しい笑顔を思い出して、俺の頬は自然に緩んだ。

今日俺が担当するのは、脚本執筆のワークショップだ。文化会の中から、演劇と映画製作、文芸の各サークルメンバーが参加すると聞いている。控室で各サークルのリーダーたちから改めて説明を受け、時間になったので俺は会場へ向かった。廊下を挟んで隣にある講義室が、今回の会場となる。

講義室には、想像を超えるほど多くの学生たちが集まっていた。最初に、一人一人の自己紹介が行われた。その中で俺は、一人の男子学生に目を留めた。

どことなく憂鬱そうな表情をしたその男子学生は、自分の番が近づくにつれて、そわそわし始めた。前を見ていた顔が段々と俯いていき、そして自分の番がきた時には微かに震えている有り様だった。緊張した様子で彼は立ち上がり、俯きながら言葉を発した。

「映画製作部の長沢……アートです。創作の創と書いて、アートと読みます」

自信なさげに彼が言った途端、近くの席にいた数人の学生が小さく吹き出した。力なく着席した長沢創の顔は、羞恥からか真っ赤になっている。ああ、よく問題になっているキラキラネームか。俺は納得した。平凡な名前をつけられた俺などにはわからないような、数多の苦しみを彼は背負って生きてきたのだ。

自己紹介が終わり、脚本の書き方をレクチャーする時間になった。今まで学んだ理論を、実例や経験談なども交えて説明していく。レジュメに目をやりながら、俺は何となく長沢の様子を気にかけていた。

長沢は集中してメモを取っていた。もしかしたら、スポーツ選手で言う所のいわゆるゾーンに入っているのではないかと思えるほど、熱い気迫を放ちながら真剣な顔で、彼はボールペンを走らせている。その様子を見ているうちに、俺は今の自分と長沢が静かに重なったような感覚を覚えた。

俺は劇団内で、変人と言われている。気楽な心持ちで生きている人間からすれば、夢を真剣に追いかけている人間は皆、そのように映るのかもしれない。長沢も、きっと変人と言われるような変わった人間性の持ち主なのだろう。今年二十九になる俺と、二十歳そこそこの長沢ではもちろん違いだってあるかもしれないが、俺たちは世代を超えて何か強いもので繋がっている。それこそ、変人、などという言葉では表せないような強い何かで。

ワークショップが終わりに近づき、最後に俺は彼らに伝えた。

「私にも、先輩方から教えられてきたことがたくさんありました。中でも心に残っている言葉は、劇作家は楽をしてはいけない、というものです。後で調べた所、あるベテラン小説家の受け売りだったのですが。皆さんも、本気でものを書くのであれば、決して楽をせずに熱意を持って取り組んで下さい。結果として上手くいかなくたっていい。皆さんが今持っているものは、皆さんだけの個性ですから。それを花開かせるために、たくさんの失敗をしながら全力で書き続けて下さい」

終わりの方は、長沢に向けた言葉になっていた。周りから笑われるようなキラキラネームだって、立派な個性だ。

俺は長沢に視線を飛ばした。長沢は、真剣な顔をして話を聞いていた。

8/9/2024, 12:33:55 PM