最後に虹を見たのはいつだろう。
虹は不意に姿を現す。思ってもみなかったタイミングで。
虹を見れたらうれしくなる。近くにいた人が虹をみつけて、表情が少し明るくなった様子を見れたら、さらにうれしくなる。
そして、君と見た虹を思い出す。
こどものわたしと君は、虹の上を歩けると思っていた。
虹をみつける度に、いっしょに虹のふもとへいって、虹のうえをあるこうと話していた。
わたしと君は、虹の上を歩くとき、どの色の上を歩くか話し合った。
そのとき、わたしは、水色がいい!君はらピンクがいい!といってたね。
違う色だから、横に並んで歩けるね!かけっこもしたいね!
こどもの想像力は豊かだ。虹の色は何色があるかとか、虹は光であるからその上を歩けないとか、知らないことが多いからこそ、自由な発想が次々と浮かんで、想像が膨らむ。
わたしも君も、こどもからおとなになった。しかし、それは”こどもの要素”がゼロになったわけではない。
おとなはだれもが、こどもだった。それは、当たり前のことだが、不思議なことのようにも思う。
最初からおとなではなく、こどもから人生が始まる。
こどもからおとなになる間に、ほとんどが成長するが、後退していくものもある。
後退していくものの一つが想像力だ。想像力は生きていくのに必ずしも必要なものではないかもしれない。
しかし、わたしにとって、想像することは、なによりも心の支えとなっている。
想像することで、ひとときだけ、自分の心と一対一で対話できる。そして、散らばっていた”こどもの要素”を一つの瓶の中に集め、大切に眺めたり触ったりする。この時間がほんとうにだいすきだ。
君と見た虹も、ひとつの”こどもの要素”として、瓶の中にしまっておこう。瓶の蓋はいつでも開けられるくらいゆるくしめておくことが、”こどもの要素”を思い出すためのポイントだ。
_______________________________君と見た虹______。
2/22/2025, 3:23:15 PM