人生の終わりを考えた時
賑やかなテレビがパッと消えるように
何もかも無かったことになるとしたら
立つ鳥跡を濁しまくってしまってもいいじゃないかと
いい加減な事を思ったりする
とどのつまり僕は自分勝手な人間なので
最小単位の人間が幸せならそれで良いじゃないかと
思って生きているし
これからもおそらくこの考えは変わらないだろう
ただ自分でも時々不思議に思う
昔は周りに怯えて気を遣って
誰かが作り上げた理想の僕の人生をなぞって
振り返っては自分が誰かも見失い
ぐしゃぐしゃの過去とその延長の今が頭をもたげ
早く轢き殺してほしいなどと
歩道を歩くたび願っていた
けれど
僕の代わりに君が怒ってくれたあの時
ああもっと怒ってもよかったのだと目が覚め
周りに少し反抗できるようになると
良いね、と言って君は笑った
もっと自分のために生きて良いのだと
何度も僕に教えてくれた
周りの大人とは全く違う形で
僕の幸せを願い続けていた
誰かから見たら僕は嫌な子になったかもしれないが
自分を殺して生きるよりずっと楽に呼吸ができると
四半世紀生きてきてようやく知る事ができた
たった一人の人間のお陰で
「生きよ、堕ちよ」
坂口安吾の堕落論の中でも有名な言葉だが
結局のところやりたいように生き抜く、という事が
堕ち切るところまで堕ちる、という意味なのだろうと
今になっては分かる
そうして知った生き方の果ては
堕ち切った道の果ては
幸せなんじゃないかと
確証などなくとも僕は信じている
3/29/2023, 4:45:59 PM