一年ぶりに訪れたその山羊小屋に、もう山羊はいなかった。
あれは去年の夏、私が庭で雑草を刈っていた時のことである。
背後で草を踏む音がして振り返ると、そこには灰色の作業服を着た見知らぬおじぃが立っていた。
本土から沖縄に越してきて、念願の古民家暮らしを始めてから早五年。ようやく沖縄の風土にも、人々のユルさにも慣れてきたころだった。しかし、庭に入って来られるのは初めての経験で、さすがに驚きが勝る。
「えぇ、おじぃ。勝手に入ってきたらダメでしょ」
私がそう言うと、おじぃは悪びれもなく私の傍らに置かれたポリ袋を指差して言った。
「なんで、いいさぁ。その草、どうせ捨てるんでしょ。だったらおじぃに、ちょっと分けてくれないかなぁ」
私はおじぃのあまりにも堂々とした立ち居振る舞いに、それ以上返す言葉がなかった。
「いいけど……。でも、こんな草、どうするわけ?」
「あぁ、この近くに公園があるさぁね。そこのヒージャーたー(山羊たち)にあげるわけよ」
おじぃが庭の外の方を指差す。その方角には確かに少し大きめの公園があったような気がする。
「あれは、枯れたのでも何でも食べるから、こんなのがうれしいわけさ」
私はこんな雑草でよければ、どうぞどうぞと、おじぃにポリ袋を差し出す。
私は翌日、山羊のことが気になって公園へと寄ってみた。
夏真っ只中の午後三時。強い紫外線に肌がジリジリと焼け、辺りに漂う熱気と湿気でじめっとした空気が焼けた肌を包み込む。
地面から沸き立つ陽炎に草の香りが乗っかったような、モワッとした熱気が鼻の奥を通り抜ける。ただ立っているだけなのに、汗はタオルで拭っても止めどなく溢れてくる。
公園の奥の方、大きなグラウンド脇でひっそりと佇む簡素な小屋に、三匹の白い山羊が確かにいた。
鉄柵越しに見える山羊たちは、足元の草を上下の歯で摩り潰すようにハミハミしていたが、私の姿に気づくと、ゆっくりと立ち上がって顔を近づけてきた。
かわいい……。短い角に、艶のある白い毛。私は思わず山羊の頭に手を伸ばす。山羊はくすぐったそうにメェェ〜と鳴いた。
そして、あれから一年。
私は久しぶりにやってきたその公園で、空っぽの山羊小屋の前に立っていた。
近くを通りかかったおばぁに、山羊の行方を尋ねてみると、どうやら別の公園に移されたらしい。
「この辺にはハブが出るからね。ヤギの安全を考えたら、それが良かったんだはずよ」
おばぁの言葉に少しホッとする。
夏のじめじめとした暑さのなかで、青々と茂った草が空っぽの山羊小屋を囲む。それらが放つ強く青い匂いは、とてつもなく大きな生命力に満ちあふれていた。
8/28/2025, 11:41:05 AM