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星溢れ(テーマ 星が溢れる)

1

 夜空の星は、固定ではない。
 近くの星である月は毎日動くし、何なら夜を終わらせる太陽だって星だ。
 それ以外の、たくさんの星たちも、飛行機のように動くことはないが、少しずつ動いている。

 これは、その星の動きについて、科学というものを知らなかった子供だった僕が、ものの見事に大人に騙され、そして勘違いした話だ。

2

「星溢れって知ってるか?」
 近所の少しワイルドな兄ちゃんが、ある時僕に教えてくれた。
 当時の僕は小学3年生で、世の中のことなんて何も知らないと言ってもよかった。
 おかげで授業は楽しかったが、今回のように騙されることもある。

「なにそれ?」
 首を傾げた僕に、その兄ちゃんはそうだろうそうだろうと、満足げに頷く。
「教えてほしいか?」

「うん!」
 はっきり頷いたものの、普段は悪い遊びばかりすると評判の兄ちゃんが、中々知的なことをいい始めた、と不思議にも思った。

「よし、教えてやろう。星っていうのはな、空に少ししかないだろ。」
「うん」
「でもな。オハジキみたいに星が動いて他の星にぶつかると、星が増える。それを繰り返すと、夜空が星でいっぱいになることもあるんだぜ。それが星溢れだ。」

 すごい、と当時の僕は目をキラキラさせていたに違いない。何と夢のある話か。

「それ、いつあるの?」

「……。さあ。」

「どうやったらできるの?」

「……。」
 その兄ちゃんは段々不機嫌になってきた。
 あとから聞いた話だと、わりと流行った嘘話だったらしく、騙された兄ちゃんは、騙しやすそうな僕を騙してウサを晴らそうとしたらしい。

「あのな。星は空にあるんだぜ。俺達がおこそうったってできないんだ。太陽や月を止められないのと一緒だ。」

「え?できないの?止められないの?」

「そりゃ無理だ。」
 その兄ちゃんはひとしきり笑ったあと、僕の予想以上の物の知らなさに満足したのか、そのまま去ってしまった。
 そして、種明かしをされなかったことが、その後の僕の行動を呼んでしまった。
3

 学生には夏休みというものがある。
 1ヶ月半の休み。
 遊び回ることが多かった僕だが、前年に宿題を溜めてしまった僕は、母から早期に宿題を片付けることをきつく言われていた。
 そして、夏休みの宿題には、自由研究なるものがあった。

「星の研究をする。」

 それだけ言った僕を、母は歓迎した。
 母は高価な望遠鏡や観測機を誕生日プレゼントに買ってくれようとしたが、父は「本当にその道に進みたいなら買ってやらないこともないが、単に興味があるだけならそれは早い」と買ってくれなかった。

「記録を取るなら、そうだな。例えば、毎晩同じ場所に立って、どこにあるのかノートにメモしていけばいい。筒を作って、紐を通して錘を下げる。錘で紐は地面を指すから、筒がどのくらいの角度なのか、分度器で図れるんじゃないか?」

 直感とアイデアの人だった父と僕は、二人で工作し、紙の筒と紐・錘に分度器をくっつけたお手製の角度チェッカーを作った。
 僕は張り切って使って星の観察を始めた。

 やり始めてすぐに「このチェッカーは高さの角度はわかるけど、方角は分からない」と気がついて、方位磁石とセットで記録をつけ始めた。



 数日して、段々と星座の動きがノートに記録され始める。
 しかし、なんだか日によって記録がバラバラだったりして、なんとも不安定だった。
 後から思えば単純な話で、人から聞いた話や思いつきだけでやっているのだ。
 確たるものなど何一つない。
 しかし、当時は一端の科学者にでもなった気持ちだった。

 そして、一週間もする頃、そもそもの始めの疑問に対して悟り始める。

「星を動かすことはできない!」

 角度と時刻で星の動きを追っているだけだったが、流石にどうやっても手の届かないところの星を動かせないことはわかった。

 と言うよりも、考えていなかった自分のバカさに気がついた。

(あの兄ちゃんも笑うはずだ。)

 子ども心に、一つ大人の階段を登った気がした。



 「星溢れ」なるものを実現することはどうやら無理そうだと悟ったものの、星の観察は続けていた。

 知らないことを、自分で調べて、『こうではないか』『ああではないか』と考えるのは、意外に楽しかった。
 僕が物を知らない子どもだったこともあったのかもしれない。
 星座の本でも買えば一日でわかるため、他の子どもはこんなことをしようとは、そもそも思わないかもしれない。やったとしても、本の正しさを後追いするだけだから、面白味もないだろう。

 毎晩同じ時間に同じ場所に来て、方角を測り、星を見て、角度を記録する。
 自分が馬鹿だったことを知っても、この『科学的な』行動は、ごっこ遊びに似た楽しさがあったのかもしれない。



 そして、夏休みのある日。
 比較的大きな地震が僕のいた町で発生した。

 大きな震度、テレビでも放送され、建物が崩れたり、地割れが確認されたりしたが、幸いにも死亡者は確認されなかった。

 その晩、僕はいつものように同じ場所で同じように星を観察して、驚いた。

「位置が違う!」

 方位磁石とチェッカーで位置を確認していた星の動きは、昨日までの動きと相当の大きさで異なっていた。

(もしかすると、地震で星の動きが変わった!?)

 僕は大発見をしたとドキドキして、その晩は記録を3回も確認して記録した。


 翌日測っても、やはり星の位置はずれたままだった。

(ずれたまま、軌道自体は前と同じように動いているように見える)

 地震で星の動きが変わる。そうなれば、星を動かせないわけではないので、「星溢れ」なるものもやろうと思えばできるのではないか。

 幼い僕の夢は広がった。

 僕の夏休みの自由研究は「星の動きの観察と地震について」とタイトルが変わった。

 大発見としたかもしれない、と急に自分がすごい人間になったような気がした。

(ニュートンはりんごが落ちて重力を発見した。僕は地震で星が動くことを発見した。)

 僕は、他の夏休みの宿題にも急に手を付け始めた。

 歴史的発見をした時、「他の宿題は全然していないだめな子だった」と言われたくない、と思ったのだ。



 夏休みが終わり、先生に提出する時の僕は、それまでなかったくらい誇り高い気分と期待でいっぱいだった。

 その有頂天な状態は、1週間後に先生から呼び出されるまで続いた。


 僕を職員室に呼び出した先生は、自由研究について話をした。

「きみの研究は、毎日星を観察して、記録して、動きを考える。地道な作業を良く頑張ったね。」

 後から思えば、先生はこのとき、子どもの頑張りを台無しにしないよう、かなり気を使って言葉を選んでいたと思う。

「ただ、地震で星は動かない。結論は間違っているんだよ。」

「でも、観察した星の位置はたしかに変わっています。」

「うん。そうだね。きみは研究のレポートに測定する道具まで書いてくれた。おかげで先生もすぐに気がついたんだが、この『お手製チェッカー』は正確な星の観察はできないんだ。」

 先生は、白い紙に図を描いてくれた。地面にたつ人と、筒と、星の関係図だ。

「このチェッカーは、同じ位置から一切動かずにそこから見える物の角度を測るものだ。同じ位置に立っていたとしても、例えばきみと先生では身長が違うから数値は変わる。そして、地震であの場所の高さか角度が変ってしまったんだろう。星の位置記録は変わったが、ずれただけで動きは一緒だった。星が動いたんではなく、きみが動いたんだ。」

 先生の話は、せっかく作った自由研究だから、と、結論とタイトルを変えて「星の観察」にしたらどうか、ということだった。

「星の観察自体はよくやったともう。ただ、星の観察は、地上の目印となる建物からの距離などを測ってやるべきで、星と自分だけの位置から測ると正確な観察はできないんだ。」


 これで、僕の夏休みを通した大発見は終了した。

 星が動いたのは単なる勘違い。星は溢れようがなかった。


 しかし、この時の僕の経験は「科学」と「科学っぽいもの」を分けて考えるきっかけになったのは間違いない。

 僕はこれ以後、年をとっても「夢のあるSF」と「科学」は分けて考える癖がついたのだ。

3/17/2024, 1:09:40 AM