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『誰かのためになるならば』

「長い間お世話になりました」
深々と頭を下げて職場を後にする。これまで一人で生きてこられたのは、この仕事があったからだ。仕事をしていれば、こんな私でも誰かのためになることをできていると思えた。でも、これからは?

「ごめんなさい」

公園のベンチでぼんやりしていたら広場の方からサッカーボールが転がって来た。こちらに駆けてくる子どもたちを手で制すると思いっきり蹴った。もっと飛ぶはずだったが、子どもたちの手前で力なくぽとりと落ちた。ころころと転がって無事に届いた。

「ありがとうございました!」

元気な声にこちらも笑顔になる。手を振って応えると少し気が楽になる。仕事をやめても人との関わりがなくなることはない。小さなことでもできることがあるはずだ。さっきのようにボールを蹴り返すみたいに。




『神さまが舞い降りてきて、こう言った』

そこは魂の溜まり場。死にゆく者たちが集い、再び生を受ける時を待つ場所。

新参者の私にどこからから神様が舞い降りてきて言った。

「次に生を受けるまで、今生の後悔があれば悔い改め、次の生に心置きなく移れるようにしてください。反省すべきは反省し、謝罪すべき人には謝罪し、生前の己の行いを見つめてください。ここにいる方々は直前の生で一番幸せだった頃の姿をしています。あなたはこんな姿です」

神様が手をかざすと鏡が現れた。そこに映っていたのは、若い結婚したばかりの頃の姿だ。意中の人と結婚でき、すぐに子どもも産まれて本当に幸せだった。

いつの間にか神さまはいなくなり、限りなく続くお花畑の中にポツンと一人で立っていた。一番に浮かんだのは一年前に亡くなった妻だ。亡くなる前、入院中の病院に訪ねることを拒まれた。いよいよというときになってようやく会うことを許してくれた。そんなに会いたくなかったか。

幸せだったか?後悔はなかったか?聞いてみたいことがたくさんある。

遠くにうずくまって何かをしている少女を見つけた。近づいてよく見ると子どもの姿をした妻だった。忘れるわけがない。教室の片隅からいつも見つめていたのだから。

自分で告白する勇気もなく、大人になって結婚を世話してくれる人に頼んだ。妻はなぜ自分なのかと不審に思ったかも知れない。そういう気持ちはおくびにも出さず、普通のお見合いを貫き通した。

承諾してくれたときのうれしさといったら!でも良かったのはほんの数年で、心を通わすことが出来なかったのは私のせいだ。それなのに当たり散らしてばかりいた。嫌われるのも当然だ。

少女の姿をしているということは、結婚は幸せではなかったのか…

心置きなく次の生に移れるように」と神さまは言った。とうすればいい?なんと言えば妻は私を許してくれる?私は一人で途方に暮れる。

7/27/2024, 11:57:51 PM