名無

Open App

雛祭りの時期になると必ずと云ってもいい程、思い出すことがある。私は熱いお茶を飲みながら、そんな他愛もない昔の出来事を回想していた。
それはまだ娘が三歳だった頃。例年通り雛人形を茶の間に飾っていた時の事だった。私がせっせと掃除やら洗濯だったりをしている間、普段なら娘は何かしらで暇を潰そうとするのだけれど、何故かその日は人形の前で何もせずにぺたんと座っていた。何か手にしている訳でもなく、娘はそれらをただじっと眺めているだけ。その上、一時間近くもそこで座っているものだから、流石に気になって喋りかけてみることにした。
「ねえ、何してるの?」
すると、娘はぽかんとした顔で、さぞかし不思議そうに答えてくれた。
「この子とお話してるの!」
最初はなんだ、単なる人形遊びかと安心したが、よくよく考えれば疑問に思うこともあった。喋り声が一切聴こえなかったということや、娘は人形遊びをあまり好んでいなかったこと。挙げればキリはなかった。だけど、その瞬間に限って云えば、まあそういうこともあるのだろうと納得しかけていて、別に気に留める程でもないなとも思っていた。その次の言葉で私がびっくりさせられるまでは。
「『あなたのお姉さん』だって言ってるよ!」
そう爛漫に語り出した娘は髪の長い雛人形の方ばかり見ていた。ありきたりな話だ。娘は私が流産したことなんて知るはずもないのに、本来そこにいるべきはずの姉の存在を知っていた。たったそれだけの話だ。だが、妙に私の頭にこびりついて離れなかった。
あれから二十数年。もう娘も大きくなって孫を連れてくるようになった。すっかり様子の変わってしまった居間の端っこで、娘に似たその可愛い女の子が、あの時と同じようにぼーっと雛人形を眺めているのが、私には何処か可笑しくて堪らなかった。もしかしたら、顔も知らないあの娘は今でも私達を守っているのかもしれない。そんな風に思える今日一日だった。

3/3/2024, 10:45:41 AM