「曄《よう》?眠れないの」
暗い部屋の窓際で外を見る親友に声をかける。
振り向いた彼女は、どこか夢から覚めたような呆けた顔をして、あぁうん、と気の抜けた返事をした。
「どうかした?」
「どうかしたはこっちの台詞なんだけど。眠れないの?」
親友の側へと歩み寄りながら、もう一度問いかける。
数回瞬きを繰り返し、眉を寄せて視線を逸らす。それは何かを隠していると言うよりも、どう説明していいものか迷っているように見えた。
「あいつは。まだ戻ってないの?」
あいつとは神様の事だ。
首を振る。数日前に険しい顔をした彼に、社に戻ると告げられてからそれきりだ。
「そっか。まだなんだ」
「悩み事?私には言えない事?」
「言えないというか、どう説明したらいいのか」
歯切れの悪い調子で、視線を彷徨わせる。何かを言いかけて口籠もる彼女を待っていれば、迷いを宿した目をしながらも。あのさ、と静かに口を開いた。
「あたしのママの実家の離れに、元々守り神だった化け物がいるんだ。夏の間と呪われた人が近くにいる時だけ起きて出てくる。時間を繰り返したり、呪われた人を攫う、そんな化け物。きっと覚えてない、だろうけど。夏休みに会った事がある」
それは元の体の時の記憶だ。だから迷っていたのか。
覚えいていないと首を振れば、だろうね、と返される。
「叔父さんから連絡があった。化け物が、クガネ様が起きたって。夏でもない。街に呪われた人なんていない…それなのに起きて、しかも離れから出たって」
「それは」
「気にしすぎ、なんだとは思う。でもあいつも戻ってこないし。落ち着かなくて」
作った笑みを浮かべ、外を見る。
街の灯りが夜を少しばかり明るくしてくれてはいるものの、それでも暗い事には変わらない。
その暗がりのどこかに、彼女の言うクガネ様がいるのだとしたら。縁を辿ってここまで来たとしたら。
「大丈夫だよ。私も曄も呪われてなんかいないし。呪われた、というか、呪の塊ならお社にあるけど厳重に封印されているし。だからここに、クガネ様は来ないよ」
言い聞かせるように、不安を取り除くように、強く言葉にする。
そっと親友の手を取る。随分と冷えた手を温めるようにして、両の手で握れば、彼女の笑みが少しだけ柔らかくなったのが分かった。
「そう、だね。やっぱり気にしすぎ、なんだよね」
「そうだよ。だからもう寝よう?」
握る手を軽く引いて促す。
ふっと短く息を吐いて親友は立ち上がり、握っていた手にもう片方の手を添えた。
「ありがと。少し落ち着いた」
「どう致しまして」
視線を合わせてお互いに笑い合う。片手を離し、残った方で手を繋いだ。
部屋に戻りながら、横目で彼女の様子を伺う。
落ち着いたとは言っていたものの、その表情は普段と違いどこかぼんやりとしていて。歩きながらもその目は窓の外に向けられていた。
「あのさ。提案があるんだけど」
足が止まる。
窓から視線を逸らしこちらを見る目は、声をかける前と違っていつもと変わらない。それに胸中でほっとしながら、繋いでいた手を軽く上げた。
「今日、一緒に寝てもいい?お布団持っていくから」
「別にいいけど…いや、それならそこの小上がりの和室で布団敷いて寝ようか」
「いいの?」
「いいよ」
手を離し、彼女は小上がりの下の収納を引いて、中の客人用の布団を取り出していく。それを和室に敷きながらもう一度、いいの、と尋ねれば、彼女はいいよ、と同じ答えを返して笑った。
「仕舞い込んだままよりは、こうやって使う方がいいからね。明日は晴れるみたいだし、そのまま天日干ししようか」
「そうだね。それにしても曄のお家は何というか、すごいね」
「ママもパパも心配性だから。この家も元々は家族で移るつもりで新しく建てたくらいだし。まあ、仕事の関係で一緒に住めなくなっちゃったけどね」
よれたシーツを手早く直しながら、親友はだからね、と続ける。
「黄櫨《こうろ》達が一緒に住む事になって、二人ともすごく喜んでたんだよ。さっさと仕事に切りをつけてお参りに行ってお礼をしなければ、って張り切って仕事してるくらいには」
「愛されているんだね、曄」
「そうだね。だからあまり心配かけさせたくないんだけどな」
直した布団に潜り込み、顔だけを出してこちらを見る。
同じように布団に潜ると、彼女は迷うように視線を彷徨わせてから、怖ず怖ずと片手を布団から出した。
「寝るまで、手を繋いでていい?気のせいだけど、一応念のため」
「いいよ。理由は聞かない方がいい?」
「大した理由じゃないんだ。気のせいだし」
手を出して、彼女の手と繋ぐ。
繋いだ手を見て、外を気にして。
目を閉じて一つ深呼吸をすると、気のせいだけど、と彼女は目を開け繰り返した。
「声が聞こえる。離れで聞いた、クガネ様が誰かを呼んでいる声。気のせいだけどね。こうして手を繋いでいれば、声は殆ど聞こえなくなるから」
繋いだ手を見る。
少しだけ強い力で繋がれて、まるで縋られているみたいに見えて苦しくなる。
「うん。それは気のせいだ。私には聞こえない。だから大丈夫、気のせいだよ」
親友の目を真っ直ぐに見て、言葉を紡ぐ。大丈夫だと繰り返す。
気休めにしかならない事しか出来ないのがとても歯痒かった。
「もう寝よう。朝になればきっと忘れるよ。大丈夫」
「ありがとう。そうだね、もう寝ないと」
「おやすみなさい、曄」
「おやすみ、黄櫨」
目を閉じる。手は繋いだまま、寄り添うように。
朝が来れば。暗がりがなくなりさえすれば。
大丈夫、と繰り返す。
どうか、と祈りに似た気持ちで、今はいない私の神様を思った。
20241103 『眠りにつく前に』
11/4/2024, 12:46:04 AM