sairo

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爽やかでありながらも、何処か冷たい風が頬を撫で過ぎ去っていく。

屋敷内へと足を踏み入れたはずであった。
だが目の前に広がるのは室内ではなく、広大な庭園。何処までも澄み切った青空と、季節を問わず咲き誇る種々の花が目を惹いた。

「すごい」

溢れ落ちた声に、横を見る。
繋いだ手の先。庭園に魅入る親友が誘われるようにして足を踏み出した。

「曄《よう》」

手を引き、止める。
はっとした顔で此方を見る親友に、無言で首を振った。
不用意に動き回るのは危険すぎる。

「黄櫨《こうろ》?あれ、皆、は?」

彼女も気づいたのだろう。周囲を見回すその表情が、不安に陰る。
此処には今、自分達以外誰もいない。
おそらくは招かれたのだ。この庭園の主に。
かつての彼が敬愛した者でも、求め続けていた者でもなく、自分達が選ばれた。
それが何を意味しているのかは、分からない。

「曄。出来るだけ離れないでね。何があるか分からないから」
「分かった。ねぇ、ここってもしかして」

寄り添う親友が、戸惑いを乗せて呟いた。問う形ではある.ものの、すでに答えは分かっているのだろう。繋いだ手が,微かに震えている。

「そうだね。クガネ様の神域だ」

答える声は思っていたよりも冷たく淡々として響き、親友の目に微かに怯えの色が滲む。
怖がらせたい訳ではない。しかし不安を取り除けるような手段を何一つ持ち合わせていない事に、密かに歯がみした。

「これからどうしよう」

溢れる不安を乗せた声に、如何するべきかを考える。
他の皆を待つか。それとも動くべきなのか。
待つとしても、ここには身を隠す場所などはなく。動くとしても、何一つ分からない中では身を守る手段を持たない自分達では危険でしかない。
悩むその横を、風が通り過ぎた。
柔らかく、穏やかで、それでいながら冷たさを孕んだ風。
ざわり、木々が葉を揺する音を聞きながら、親友は不思議そうに首を傾げる。

「ここの季節って、秋なのかな。花は季節関係なく咲いているけど、空の色とか風の匂いとかは秋の感じがする」
「どうしたの。急に」
「うまく言えないんだけど、クガネ様にとってここが秋でないといけないのかなって。秋の季節が一番好きとかかもしれないけどさ。でも何ていうかさ、好きとかとはまた違う気がするの」

うまく言えないけれど、と親友は繰り返す。その目には怯えの色は消え、戸惑いに揺れていた。
また風が通り抜けていく。彼女の言う秋の風が誘うように背中を押した。

「どこかに連れて行きたいのかな」
「行ってみようか」

離れないようにと手は繋いだまま。風の吹く方向へと歩き出す。
とても静かだ。風が木々を騒めかせる以外、聞こえるのは自分達の音だけだ。
風は木々の向こう側へと吹き続けている。誘われるままに木々の間を通り抜けて。


「すすき?」
「すごい。こんなにたくさん」

一面に広がる芒の海に、気圧されるようにして立ち止まる。
ここまで連れてきた風は芒の間を抜け、くるり、と円を描くように遊びながら通り過ぎていく。
目的地はこの芒のようだ。

「ここに何かあるのかな」
「どうだろう。何かあるようには感じないけれど」

辺りに何の気配もない事を確認して、芒へと近づく。
手を伸ばして穂に触れる親友を横目で見ながら、不可解さに眉を寄せた。
分からない事ばかりだ。
求め続けていたはずの者ではなく、自分達が招かれた理由。
季節を問わず様々な花は咲いているのに、庭園が秋である理由。
化生に堕ちたと言われているはずのモノの庭に、魔除けとされる芒が一面にある理由。
ちぐはぐで、違和感だらけだ。

「あのさ」

考え込む意識を、親友の声が引き戻す。
彼女を見ると、戸惑いを浮かべながらも真っ直ぐな目と視線が交わった。

「もしかして、クガネ様。助けてほしいんじゃないかな」
「助ける?」
「うん。分からないけど、そう思った」

あぁ、そうか。とその言葉に何故か納得する。
分からない事ばかりではあるけれども、それが一番正解に近いのだろう。

「ここに来てから、何だか変な感じがずっとする。秋でなきゃいけないとか、クガネ様が助けてほしいって思ってるとか。どうしてか、そう思うんだけど、これってよくないかな」
「大丈夫だと思うよ。曄はたぶん近いんだ。クガネ様が求める一族に」
「そうなのかな。でも何で藤白《ふじしろ》さんや篝里《かがり》さんじゃなくて、あたし達だけなんだろうね。会いたかったんじゃなかったのかな」
「それは分からない。でも意味はあるはずだよ」

おそらくすべてに理由はある。それはまだわからないけれど。
親友の手を引く。
このまま皆を待つよりは、動いた方がいいのだろうから。
親友も同じ事を考えていたらしい。目を合わせて笑みを浮かべた。
それに笑い返して、どちらともなく歩き出す。

「ここのどこかにクガネ様がいるんだろうね」
「そうだね。でもどこにいるのか分からないから、会うなら探すしかないよ」
「広いから大変そう。さっきみたいに風が連れていってくれないかな」

手を繋いで二人、笑い合う。
そこにはもう、不安や恐怖の色はない。
当てもなく歩き、芒の海を抜け、木々の間を通り抜けて。


不意に、何かの音が聞こえた。
お互いに立ち止まる。耳を澄ませれば、風とは異なる微かな音。

「聞こえた?」
「聞こえた。遠いけど、これは」

てん、と。聞こえるのは、弦を弾く音だ。
誰かがいる。どこかで三味線を鳴らしている。

「行こうか」

誰がいるのかは分からない。何があるのか知りようがない。
それでも。

目を合わせて頷いて。
歩き出す。音の鳴る方へ。



20241115 『秋風』

11/15/2024, 10:07:19 PM