自宅までの最寄り駅に着いたとき。
くん、と繋いでいた手を遠慮がちに引っ張り、彼女が足を止めた。
だから俺も足を止めてなんの気なしに振り返る。
ふさふさの睫毛が切なげに揺れたのは、湿度のこもった夏の夕風のせいではないだろう。
「どうしました?」
聞いたところで彼女は言葉を濁すはずだ。
だから、きっと彼女が求めているであろう模範解答とは少しずれた質問をしていく。
忘れ物でもしたのか、とか。
夕食を外ですましたいのか、とか。
日用品の買い足しでもあるのか、とか。
形のいい眉毛を下げながら、彼女は律儀にそれらを否定した。
焦らしたりからかったりしたいわけではない。
消去法でひとつずつ彼女が求めている言葉の可能性を高めて、自分の中の期待値を上げているだけだ。
我ながら最低であると自覚はしている。
それでも実感したいのだ。
気を抜けばすぐに遠くへ行ってしまう彼女に好かれていることを。
「ごめん、なんでも……」
人と向き合うことに臆病になってしまった彼女に、こんな試すようなことをすれば諦めてしまうことも知っている。
「……『俺ん家でメシでも食って行きますか?』」
「え?」
パッと顔を上げる彼女の表情は、戸惑いながらも期待の色を濃くした。
「そ、れは、ありがたいけど。でも……」
「『なら、決まりです』」
彼女からその先の言葉を聞きたくなくて、彼女の求める言葉を終わらせた。
その代わりに、先日、俺たちの関係性がひとつ進んだことを実感させる。
「……でも、忘れちゃいました? 俺たち、ちょっと前に同棲を始めたんですよ?」
「あ……、って、ああっ!?」
彼女の中でまだ現実味がないのか。
俺の元いた家と最寄り駅が同じせいか。
同棲しているのに待ち合わせなんかしてしまったからか。
「これで寂しくなりましたね?」
「教えてくれたっていいじゃん」
なんにせよ、寂しい思いが少し解消されたらしい彼女は、わかりやすく不貞腐れた。
「例え帰る場所が一緒でも、寂しいときは寂しいって言ってほしいんです⭐︎」
「うん」
……いやそこは素直になってくれても。
からかいすぎたかな。
反省していると、ツンと唇を尖らせて拗ね散らかした彼女がもそもそとつぶやいた。
「れーじくんとの1日がこれで終わっちゃうのは、ちょっと寂しい」
ギュン、と心臓を鷲掴みにされて胸を押さえる。
急に素直になるのずるいだろっ!?
甘やかに震える声から、頬が紅潮しているのは夕日のせいだけではないことは明白だ。
言ってほしかったから言わせたのだが、かわいさの爆発力が凄まじい。
「……少し、遠回りして帰りましょうか」
「ん。ありがと」
安堵した笑みを浮かべた彼女に釣られて俺の目元も緩んだ。
繋いでいた右手の指先を絡め取り、迂回したルートをゆっくりと進む。
振り返ることをしない彼女が見据える未来の先は、俺には遠すぎて眩しすぎて見ることができなかった。
それでも彼女が進むのなら、俺だって追いかけないわけにはいかない。
『遠くへ行きたい』
7/4/2025, 1:29:30 AM