「香水」
「王太子様、このごろはわたくしが来てもドウジン様は全然お顔を見せては下さらなくなりましたわね。もうおひとりの弟王子のドルトン様は必ずご挨拶に来てくださいますのに…」
「ん?あぁ、アレは最近温室に篭って何やらしているらしい」
「まぁ!こちらのお屋敷に温室がありますの?!」
「いや、此処にはない。西の森を抜けた先に湖があるのだが、そのほとりに母のお気に入りだった温室があるのですよ」
「まぁ!まぁ!きっと素敵なんでしょうね!」
「今ではアレと側近のギルくらいしか出入りしていないと聞いています。」
「どんな所かわたくしも行ってみたいですわ」
「それが、どうやら誰も近くなとアレが言っているようなんだ、申し訳ない。」
「どうされたのでしょう、何か抱えてらっしゃる事でもおありなのでしょうか」
「それは、わからないが…アレは母の記憶がほとんど無い分、あの場所で母を感じているのかもしれないとわたしは思っているのです。なに、心配することはありません。アレもう子どもではないのだから」
「王太子殿下、陛下が急ぎお呼びです。」
「わかった、直ぐに行く」
「レディア姫、申し訳ない、いつも呼びつけておいてあまり時間が取れなくて」
「いいえ、お気になさらないでください。王太子様は陛下の右腕としてお忙しいことは重々承知しております。それよりお身体をお痛いください…」
「ありがとう。君と過ごせる僅かな時間がわたしの原動力となっている…」
そう言って王太子は、わたくしの髪に口づけをされ足速に去って行った。
そこは、噎せ返るほどの花の香りで満たされていた。
名前も知らない花が幾つもあり、一見、雑然と花で埋もれてそうな空間だったが、ちゃんと手入れが行き届いているのがわかった。
気配を感じ振り返ると、そこだけ他とは違う空間があった。
一段と花に埋もれるように、中心に女神の像が立ってた。
「なんて美しい女神様なの…」思わず口にした。
「それは、母上だ」
突然背後で声がしてドキリとして振り返る。少し怒りがこもった瞳でカレが言った。
「どうして此処にいるのですか、此処には誰も近づかないよう言ってあったはずなんですが…」
「ここはまるでお花の香水の館ですわね」
「はぁ…アナタはいつも話が通じないな…」
「え?」
「いや、いい、なんでもない」
「こちらのお花達はドウジン様がお手入れをなさってるの?」
「ああ、ワタシひとりではありませんが」
「とても素敵ですわね」
「ありがとう…」目も合さずポツリと言った彼の耳が少し赤くなっていた。
お恥ずかしいお年頃かしら、とても微笑ましかった。
「お母様…素敵な方だったんですね、本当に女神様だと思いましたもの」
「これは、父…陛下が、母上が亡くなった時に作らせたもので、当時は大層悲しまれてこれを作らせたそうですが、今では父上も他の誰も此処には来なくなってしまった。だから…」
そのまま黙ってしまった。
「きっと国王陛下や他の王子様方は、生前を思い出して余計に悲しくなってしまわれるのかも知れませんね…本当にお美しいですもの」
カレは、何も言わなかった。
「レイ様、そろそろ…」
「あぁ、そうね…ドウジン様、わたくしとてもここが好きですわ、また来てもよろしいかしら?」
「兄上がいいと仰るなら、かまわない」
やはりこちらは見てくれない。
「ふふっありがとうございます。それでは今日は、これで失礼致しますね」
「もう暗くなってきています。屋敷までお送りします。」やっとこちらを向いてくれた。
「やっとこちらを見てくださったわね、ふふっ」パッとまた目を逸らしてしまった。
「ありがとうございます。でもその必要はありませんの、今日は、このまま一度国へ帰ることになっていて迎えが来ていますの」
「えっ!」一瞬だけ目が合ったがまた直ぐに目線が外された。
「暫くは、来れませんが…」
そう言いながら離れがたく寂しい気持ちになった。
「レディア様…」
「えぇ、わかったわ。名残惜しいけど…では、ごきげんよう ドウジン様」
ドアの方へ歩き出すとカレが無言でついてきた。表まで見送ってくれるつもりらしい。
ドアのところで振り返るとお気をつけてと、今度はしっかり目を見て言ってくれた。
わたくしは、ドキリとして微笑み返すしかできなかった。
カレは、わたくしたちが見えなくなるまでずっと見送ってくれていた。
あの、花を切り散らかしていた少年が、あんなにお花を大事にするようになってたなんて…
嬉しくて少し胸が熱くなった…
9/2/2022, 11:20:52 AM