古代ギリシャの哲学者プラトンはイデア論というものを唱えた。イデアというのは人間が認識できない境地にある、完全な真実なもののことである。
といっても難しすぎるので簡単にいうと、「あれもこれもそれも現実世界にあるものはぜーんぶイデア界のもののパクリ!イデア界にあるものが本物なの!!」って感じの理論だ。
例えてみると、現実世界には犬といってもマルチーズや秋田犬など様々な種類がいるが、イデア界には "本物のイヌ" がいる、という感じである。見てみたいものだ。
そんなプラトンにとって、『美』のイデアというものが割と重要視されている。ここで疑問。完全なる『美』とは一体なんなのであろうか。
昨今、プリクラに始まる顔の加工や、AIによる理想の女の子の出力や、顔や体の整形が流行っている。それはまごうことなく『美』を追求する行為であるとは思うのだが、一体なにを目指しているものなのだろうか。
最近思っているのは、インスタやTwitterなどでたいへんよく見かける美女を現実世界であまりみかけないということだ。人生で何回か、道端で美しい人に目を引かれたことはある。けれども、それは片手で数えられるほどだ。一方で、仕草が魅力的だったり、声が素敵だったり、笑顔が可愛かったりで目を奪われた経験は圧倒的に多い。そういう場合、顔の美しさなどは全然気にならないものだ。
自分が満足するための『美』の追求であるならばそれは素敵なことであるが、たいていその『美』の基準を作り上げているのは他人であることが多いように感じる。
はて、ならば皆がこぞって目指している『美』とはなんなのであろうか。まだまだ化粧っ気のない私には到底わからないことであるが、もしかしたら、『魅力』のイデアと『美』のイデアは違うのかもしれないな、などと思った。
あぁ、世知辛い。できることなら『美』のイデアから目を背けて『文章』のイデアを追求したいものだ。
: 美しい
1/16/2024, 11:32:04 AM