『心は透明で』
うわー相変わらず好きなテーマだなあ。
大忙しな日々を終え、かなり前回から期間が空いてしまったけれど、なんとかここに戻ってこられた。
やっぱり毎回、題材を見るたびに好きだ!!と思ってしまうな。「心は透明」だけで終わらず、「で」と書いているところに、心は透明なだけではない、という意識を感じさせるな。
私は透明なものが好きだ。なぜかと言われると難しいけれど、光が好きだからだろうか。透明なものは、光をとても美しく見せてくれるような気がする。唯一無二の魅力がある。
今回の「透明」という言葉は、物理的な意味にも心理的な意味にも考えられるように思う。
そうだな、まず物理的には…心は目に見えない、というところが挙げられるかな。そのあまりに抽象的なものを、少しでも捉えるために、人は心以外の要素をなんとかかき集めて生きている。どうがんばっても物理的に触れることができないそれは、よく考えるととても不思議だけれど、そこに美しさも感じられてしまうな。
心理的なところでいうと…
透明というとこう、澄んでいるだとか、そこから考えて、なにか純粋なものを連想させられるけれど、心は必ずしもそうではないように思う。とはいえ透明でないと駄目なわけでは決してなくて、私自身、心については透明な部分とグラデの部分と穢れているとされる部分、全部ひっくるめて大好きなので… それが人間らしさというのだろうか。
あとは、先程の話と少し繋がるけれど、心は自身の姿が見えないかわりに、それ以外のまわりに変化を作り出しうる。そしてそれは大きかったり小さかったり… 例えば表情とかは分かりやすい。本人の意志に関係なく、色々通り越して顔にそれが現れたとしたら、そういうところも透明だ、といえるかもしれない。けど逆に本人の意志と真逆な表情だって、できる人にはできるだろうし、ああでも、それも心の作用によるものか……
なんだか考えれば考えるほど分からなくなってくるなあ。
多分前提として、心っていうのは分からないものだ。正直透明だ、と言い切るのも難しい気がする。その心をもつ本人によっても、それを感じ取る他人によっても、全然変わってきてしまう。境界がわかりづらい、という点でも透明といえるのかな… そもそも境界があるのかすらもわからない…
色々書いたけれど、素直に…『心は透明で』って、とても綺麗だな。もし、ある人が誰かの心を透明だと感じる瞬間があったなら、その人はきっと相手の心に見惚れたのだろう。
今回の文章を書いたことで、分からないということが分かった気がする。
…あれ、でも何かが分からないことって「不透明」って言うよな。おおお!面白くなってきた。
…全くまとまりがないけれど、まあいいか。
心は透明で、また不透明でもあるのだろう。
(十)
5/22/2026, 8:39:00 AM