桜が咲いている。
菜の花も、チューリップも、たんぽぽも、スミレも。
色彩が増え、気温も上がり、街が一気に華やかになる。それは勿論、街に住む人々も例外ではない。
「·····」
大通りを一本曲がって狭い路地に入る。
散乱したゴミの山に埋もれて、一人の男が蹲っている。蹲ったまま、華やいだ大通りに鋭く険しい視線を向けている。
コツ、コツ。堅い靴音が響く。
ゴミの散らばる路地に不釣り合いな、磨かれた革靴の先が自分の前でピタリと止まり、男は目を見開く。
「大丈夫ですか?」
響く低音。
視線を上げれば、スーツを着た一人の男がしゃがみ込んで自分を見つめていた。仕立てのいいスーツがしわくちゃだ。
「·····」
「ほどこしとか、そういうつもりじゃないんです」
差し出された手には、名前の知らない小さな花が一輪と、フィルムに包まれたマフィンが一つ。
「せっかくの春なので」
「·····」
思わず手を出してしまった自分に、男自身が驚いていた。
「美味しいですよ、それ」
男が立ち上がるのを目で追う。背が高い。すらりとした、綺麗な立ち姿だった。
春を体現したような男に、なぜか毒気を抜かれた気がする。
去っていく男の背越しに、大きな月が輝いていた。
END
「春爛漫」
4/10/2024, 2:38:12 PM