sairo

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「宮司。兄者が来るから、我はいない事にしといて」

いつもの無茶振り。聞こえない振りをして、境内の掃除に専念する。
面倒くさい。頭の中の藤が嫌そうに溜息を吐いた気がした。

「おい、駄狐…そうか。我、急に神様らしい事をしたくなったなぁ。手始めに、駄狐とあの娘の縁を焼き切って、二度と会えなくして、」
「やります!やらせて頂きますっ!」
「最初からそう言え。馬鹿狐」

全くもって横暴で傲慢な神である。元々は化生として封印され、祭り上げられた神なのだから仕方ないのではあるだろうが。確か、朝敵として国一つ滅ぼしかけたとか。
そんな詮無い事を考えながら、手にした箒を片付ける。

「そんなに会いたくないのであれば、会いたくないとはっきり伝えればよろしいでしょうに」
「は?我、兄者に会いたくないなんぞ、言ってないが?」

何を言う。毎回、何かと理由をつけて会う事を拒否しているのは貴様だろうに。
胡乱げな視線を向ければ、腕を組み舌打ちをされた。

「今の我の姿を見たら、兄者が気に病むだろうが!悲しげに「ごめんなぁ、守ってやれなくて。駄目な兄ちゃんだな」とか言われてみろ。それだけで国一つ滅ぼせるわ!」

別に言われた所で、そんな物騒な考えは出てこないが。それにどちらかと言えば、毎回弟に会えず去っていく、その寂しげな背中を見ている方が哀れみを誘うが、それは気にはならないのか。

「そも兄者は弟妹《きょうだい》に、心を砕き過ぎる。長子である事を寄す処にしているにしても、もっとこう、我儘になるべきだ!我らの意思を尊重して己の気持ちを押し込むなぞ、言語道断!もっと己の意思を押し通せ!長子であり長男なのだぞ!あれか、生まれを気にしているからか」

やってしまった。一度こうなってしまったらしばらくは止まらない。放置しても良いが時折こちらに話題を振られる為、この場を立ち去る事も出来はしない。
仕方なしに静かに社へと移動すると、上り口に腰を下ろす。
茶や菓子の一つでもあれば、少しは気も紛れるというのに。今日に限って何も持ち合わせていない事に、己の運の無さを嘆いた。

「産まれたい、生きたいというのは生きとし生けるものすべての本能だろう!それ以前に父上母上からその生を望まれ、兄者は応えた。誉れと思いこそすれ、何を負い目に感じる事があろうか!…おい、ちゃんと聞いているか?駄狐」
「はいはい、ちゃんと聞いていますよ。他の何よりも、誰よりも、お兄様がお好きで仕方ないのですよね」
「何を言っている。しっかりと話を聞いていろ、駄狐。我は兄者だけでなく、他の弟妹も等しく皆愛しているぞ?」

当然だろう、と告げられた言葉を鼻で笑う。
愛などと口にするが、長兄とは反対にその愛に行動を伴わない。言葉にするだけの愛ほど、浅ましいものはないだろうに。
千里眼を持つこの神の場合は特に。動けば結果が大きく変わるものは数多あっただろう。
姉の行方然り。弟の苦悩然り。末妹の欠損然り。

「我が何もしない事が不満か、狐?視えたもの、視えているものに対して、黙したままでいる事を愚かと断ずるか」
「さぁ?ですが愛すると言葉にして救われるものなど、何一つないと思いますけれど」
「そうだな。だが、」

呟いて、目を閉じる。
随分と静かになったが、何を考えているのか。その表情からは何も察する事は出来ない。

「これ以上の最良を、我の眼は視る事は叶わなんだ」

目を開け、微笑う。

「銀花が応えたのが鵺の兄弟だったからこそ、眼を含んだ三つで済んだ。銀花の眼は我に近しい故、あのままでは呑まれてしまっていたからな。一つならば己を保つ事ができよう。姉者らは現状このままが良いのだが…寒緋はもう耐えられんからな。姉者と共に行かせるとしても、時間稼ぎにしかならんだろうし…姉者に暫し耐えてもらうしかあるまいな」

先程とは異なり、誰にでもなく静かに語るそれらの意味を正しく理解する事は難しい。
そも己に関係のない兄妹の話をされても、である。
どうしたものかと内心で悩んでいれば、不意に視線が交わった。すべてを見通す金の眼が、不機嫌に歪む。

「時に、狐」
「何でしょうか?」
「いい加減、亡骸を荼毘に伏す事を覚えろ。これ以上娘と近くなれば、誤魔化しが出来んぞ」

何を言っているのか。あの子と近くなる事の何がいけないのだろう。

「魂魄は流転するものだ。だが同じ繰り返しを嫌い、前の世から離れて新たに生まれようとする…この意味が分かるな?」
「…ですがあの子は、常にこの地で生まれます。ワタクシと縁が繋がっているからではありませんか?」

縁を結び、繋がっているからこそ、こうしてあの子はここにいるはずで。
そう告げれば、不機嫌に歪んだ金が呆れた色を乗せ瞬いた。

「阿呆か。縁なんぞ繋がりが見えるだけで、結びを引く事なんぞ出来んわ」
「…では何故?」
「誤魔化したと言っただろう?娘の痕跡を狐ごと隠し、魂魄を引き寄せてこの地に生まれ落としている。だが隠すのも限度がある故、荼毘に伏す事を覚えろと言った」

何故。
本当に何故こんな手間のかかりそうな事を、この横暴で傲慢な神がするのか。あれだけ駄狐だのなんだのと呼び、無茶振りを平然としてくるのに。

「何だ、不満か?ならば次からは手を出さないでおくか」
「手は出して下さい。これからもずっと。あと出来れば、あの子にもう少し好意を持ってもらえるようにしてほしいのですが」

思わず本音が出る。
仕方ない。最近は表面上は好意的でもどこか壁のようなものを感じて、少々寂しかったのだから。
馬鹿にされる事も覚悟の上であったが、先程までの不機嫌な金は鳴りを潜め、穏やかに笑みの形に細められる。

「お前の望みは常に娘に関する事ばかりだなぁ。だが我に出来るは、魂魄を引き寄せる程度の事。好意なんぞお前の態度次第だ。少しは素直になる事だな」

素直になれたら苦労はしない。けれどそれを言うほど野暮でもなく。
仕方なしに一つ頷く。
それを見て、目の前の我儘な神も同じように頷いた。

「さて、そろそろ兄者が来るな。我はいない事にしといてくれ」
「アナタ様こそ、素直になればよろしいでしょうに」
「何か言ったか。駄狐」

いいえ何も、と首を振る。
社に戻る神の背を見送り、立ち上がる。
本当に面倒くさい神だ。


一つ息を吐き、振り返る。
近づく彼の兄に笑みを浮かべ。
彼が何か言うよりも先に。

「申し訳ありません。アナタ様の弟君は、いない事にしてほしいと社にお篭りになられました。何でも、今の姿ではアナタ様のお心を痛めてしまうのでは、とお考えになられたようでして。御衣黄《ぎょいこう》様はそれ程お兄様を敬愛しているようですね。先程も、」
「馬鹿っ!それ以上言うな!この、駄狐が!」

慌てたように社から出た神と。
泣くように笑う兄と。
成り行きを見守る末妹と。

兄妹の語り合いを暫し見てから社務所へ向かう。
茶の一つくらいは出してやろう。話は長くなるだろうから。

初めてあの神を出し抜けた事に、尾が機嫌良く揺れる。
気掛かりは、一つ。
彼らの長い語り合いの中で、国が一つ滅ぶような話題が出ないよう願うばかりだ。



20240705 『神様だけが知っている』

7/5/2024, 3:28:30 PM