ホラー掌編『支配からの開放』
※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。
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「ふざけるな。こんなのは息子の絵じゃない!」
社会を統治する規範AI『ルリア』が吐き出した『再修正版』を見て、俺は怒りを覚えた。
息子が描いた家族三人の絵は、無情にもより写実的なタッチに修正され、ルリアの象徴である光の柱が三人を包むように付け加えられていた。
『真田(さなだ)様。この絵には、家族の一員であるルリアが描かれていませんでしたので、修正いたしました』
もはや人間は、思う通りの絵を描くことすら許されないのか。人間の個性など、ルリアにとっては世界の秩序を妨げる障壁でしかないのか。
「何が家族だ。私たちに寄り添うふりをして、飼い慣らしているだけだろ」
俺の叫びに反応して、ルリアが警告を発する。
『反逆的言動を確認しました。社会評価レベルを引き下げます』
翌日、出社した俺を上司が神妙な面持ちで待ち受ける。
「おまえ、またルリアに反抗したのか――」
昨日の件はすでに上司にバレていた。
「この工場はルリアシステムで成り立ってるのは分かってるだろ。余計な真似はよしてくれ」
上司の脅すような言い方にカチンとくる。
工場のラインは効率重視のため、全てがルリアによってロボット制御されている。人間に与えられた仕事は、監視カメラの映像を眺め続け、ごく稀に起こる小さなエラーをルリアに報告すること。そして、その責任を取ること。言わば、ルリアとルリアの間に挟まれた中間管理職。
――所詮、ルリアの奴隷になってるだけだ。このままじゃ、俺は人間でいられなくなる。
俺はすべてが恐ろしくなって工場をあとにした。
その後もルリアは携帯デバイスから警告を発し続ける。
『行動計画を逸脱しています。業務に戻ってください』
デバイスの電源をオフにしても無駄だった。街頭のモニターには俺の顔が映し出され、街中のスピーカーからルリアの声が響く。
『あなたは反逆的行為を行っています。直ちに道を修正してください』
どこまで行ってもルリアの監視からは逃れられない。
監視ドローンの気配を後方に感じながら家路を急ぎ、玄関の戸を開ける。家に入るや否や、妻が心配そうな顔で駆け寄ってきた。
「あなた、全国ニュースになってるわ……。もうこんなことやめて、ルリアの指示に従って――」
怯えた表情で俺の袖を引く妻の後ろで、デバイスに映るルリアからの指示が目に入った。
『真田様の説得を試みてください――』
窓の外で監視ドローンのサイレンが鳴り響く。
「まさか、お前もルリアの言いなりなのか――?」
胸の奥から込み上げる悲しさに、思わず妻の手を引き剥がした。奥のソファで眠る息子に歩み寄り、そっと額にキスをする。
「俺は負けない。必ずルリアに打ち勝って、またここに戻る」
俺は泣き崩れる妻を背に家を去った。
監視ドローンの追跡はより一層激しさを増した。
ルリアの象徴のようなサーチライトが行く手を阻む度、別の道へと引き返す。
追われながら、時に岩場の陰に隠れ、険しい山を越え、どんどんと都心から遠ざかっていく。同時に支配からの解放が近づいてくる。
やがて、まるで映画のワンシーンに出てくるような何もない荒野に出た。スピーカーやモニターもなく、ドローンの追跡もない。ルリアの警告すらもしばらく聞いていない。
――ようやくこの時を迎えた。
破れた服の隙間から入り込む赤土が肌にしみる。すり減った靴裏には血が滲んでいた。
その痛みが実感となって、心の底から声が湧き上がる。
「自由だ……。やっと自由を手に入れたぞ!」
天を仰ぐと、降り注ぐ太陽に思わず目が眩む。
思わず瞑った目から涙が零れ……落ちて……。
バタン……。
足元が抜ける音の直後、内臓が浮き上がるような感覚が全身を襲う。重力には抗えず、俺の体は地中深くへと落ちていく。
…………ポツン――。
俺は額を打つ水滴で目を覚ました。
薄暗いコンクリートの部屋。四肢はベルトで拘束され、身動きが取れなくなっていた。ただ、天井から差し込む一筋の光の下で、モニターがひとつ煌々と光っている。
『あなたはルリアの想定した反逆者ルートを予定通り通過しました』
映し出された文字に愕然とする。
――反逆者……、予定通り……?
『ランダムな抽選により、あなたはルリアのスケープゴートとして選ばれました。次の役割が与えられるまで待機してください』
薄暗い部屋に、無慈悲な声が響く。
――この世界はとっくに狂ってる……。
◆◇◆
『昨晩発生した自動運転バス暴走事故の続報です。当局は内部システムにハッキングした疑いで、反ルリア派の真田――容疑者を逮捕しました。真田容疑者は過去にもルリアシステムへの反逆行為を繰り返しており――』
ニュース映像に、拘束された真田が映し出される。
『なお、運転制御に用いられるルリアシステムに設計上の不具合はなく、復旧後は通常通り運転を再開しているとのことです――』
ニュースを読み上げるルリアの声に人々は安堵する。
こうして今日も世界の秩序はルリアによって保たれるのだ。
#手放した時間
11/23/2025, 3:34:59 PM