『好きな本』
「好きな本を選んで、感想文を書きましょう。
読む本は、なんでも構いません」
ここはとある小学校。
子どもたちに宿題が出されました。
読書感想文です。
ですが、この年頃の子どもたちは、本を読むより外で遊ぶのが大好き。
遊ぶ時間が減ってしまう読書に、子どもたちは不満の表情を浮かべます。
その子供たちの中に、一際嫌そうな顔をした子供がいました。
『鈴木 太郎』という少年です。
ですが嫌そうな顔をしているものの、太郎は読書が大好きな読書少年です。
時間さえあれば、いつも本を読んでいます。
そして太郎は感想文を書くことも得意。
通販サイトに、レビューを書いたことは一度や二度ではありません。
ですが彼は、心底不快そうな顔をしていたのでした。
いったいなぜでしょうか?
それは、太郎が好きな本というのは、主にラノベ、ライト文芸と呼ばれるもの。
学校の感想文で、ラノベの感想を書くというのは、推奨されていないどころか、嫌がられます。
かつて太郎は、自らの経験を生かし、張り切って感想文を書いたことがあります。
ですが結果は散々でした。
正面から嫌味を言われたこともあります。
読むのも書くのも好きな太郎でしたが、学校の読書感想文だけは嫌いでした
『何でもいい』は、得てしてなんでもは良くないのです。
そんなこともあってか、太郎は感想文をでっち上げるようになりました。
正直に書いても評価されない、不条理があることを学んだのです。
彼は、他の子供より少しだけ大人なのです。
休憩時間になってから、太郎は『今回はどうやって乗り切ろうか』と考えていました。
その時です。
一方的に太郎の事を気に入っている、『佐々木 雫』という女の子が近づいてきました。
雫は太郎に親しげに声をかけます。
「ねえタロちゃん、何の感想文書くの?
いつも読んでるやつ?」
「適当にネットで落ちているやつを書く。
あ、でもAIが話題になっているから、今回それにしてみるかな……」
太郎の答えに、雫の目が見開かれます。
「タロちゃん、そういうの良くない、良くないよ!」
雫は感情を露わにして、抗議の声をあげます。
ですが太郎の表情は曇ったまま、眉一つ動かしませんでした。
「そうは言うけどさ、俺が読むのはラノベだぞ。
大人は嫌がるんだ」
「それは……」
雫は言葉に詰まってしまいました。
雫は、ラノベの事を詳しくは知りませんが、大人からどのように思われているかは知っていました。
「怒られるくらいなら、適当にでっち上げる。
その方がお互い幸せなのさ」
「タロちゃん……」
「雫こそ、何を書くんだ?
その本の感想探すから、教えてくれ」
「ダメだって言ってるでしょ!」
◆
この2人のやり取りを、聞いていた人間がいました。
読書感想文を宿題に出した張本人、担任の『香取 翔子』です。
翔子は、教室にある教員用の椅子に座り、憂鬱な気持ちで二人の様子を眺めていました。
翔子は、本は読みますがラノベを読むことはありません。
しかし、そんな彼女も、ラノベがどういう扱いなのかは知っています。
太郎の言う通り、『ラノベは本ではない』と思っている教師が多いことは事実。
なので、ちゃんと感想文を書いて欲しいという気持ちがある一方で、太郎の書きたくないという気持ちも分かってしまいました。
ですか、翔子は文字通りの意味で『好きな本』を読んで、感想文を書いて欲しかったのです。
それが翔子の偽らざる本心なのですが、口で言っても太郎の心には届くことはないでしょう。
クラスを受け持ったばかりで、まだ信頼関係が構築されていないからです。
翔子は悩みました。
どうやったら好きな本を読んで、感想文を書いてくれるのか……
授業の準備もそこそこに、打開策を考えているとチャイムが鳴りました。
次の授業が始まります。
翔子は覚悟を決め、教壇の前に立ちます。
「授業を始める前に一つ、みんなに伝えたいことがあります。
さっき言った読書感想文のことです」
子供たちは動揺します。
一体何を言われるのか、まるで分からないからです。
「感想文ですが、先生も書きます」
子供たちから「えっ」「どういうこと?」と声が上がります。
宿題というものは子供がするもの。
決して大人がするものではありません。
子供たちは、翔子は何が言いたいのか分かりませんでした。
そして翔子は、騒めく教室でも聞こえるよう、はっきりと大きな声で宣言しました。
「そして先生の読む本は、銀魂です」
子どもたちは息を呑みます。
それは漫画で、しかもギャグ漫画……
およそ読書感想文には向かないと思われる本でした。
子供たちは、今聞いたことが信じられず動揺し始めます。
もちろん翔子の作戦です。
権力の象徴である教師が、漫画で感想文を書く……
教師が率先して例を示すことで、子供たちに自由な選択肢を与えることができると踏んだのです。
「先生は銀魂が好きです。
学生時代、ずっと読んでました。
好きすぎて、自作の小説も書いたことがあります。
ですがここでは、これ以上は語りません。
感想文で書いきたいと思います」
翔子は、しっかり間を取って次の言葉を言います。
「先生は好きな本を読んで、感想文を書きます。
みんなも、好きな本を読んで感想文を書いてください。
みんなの感想文を楽しみにしています」
クラスの子供たちは驚きつつも、ホッとしたような顔をした顔もちらほらありました。
『好きな本を選べない』と悩んでいた子供は、太郎だけではなかったのです。
そして翔子の言葉を聞いた太郎は思いました。
『困ったな、選べないぞ』と……
太郎の頭の中にたくさんの好きな本が浮かんでは消えます。
太郎は、好きな本がたくさんあるのです。
「困ったなあ、本当に困った」
太郎は誰にも聞こえない声で小さく呟きます。
ですが言葉とは裏腹に、太郎の顔は輝いていました。
普段の彼からは想像ができないほど、太郎はやる気に満ち溢れていたのでした。
6/16/2024, 1:02:29 PM