上司の佐久さんが、やらかした。
できる女の佐久さんも、マシンじゃない。やらかす時はやらかす。受注ミスだった。納期スレスレで何とか納品したが、先方はおかんむりだった。菓子折りを持って出向いて謝罪して、小一時間担当者に嫌味を言われてようやく放免となった。
同行した俺でさえ、疲弊した。ましてや佐久さんはをや、ってやつだ。
「殿山くん、ごめんね。付き合わせちゃったね」
「いや、俺は構わないですけど……。大丈夫ですか、佐久さん」
「何が?」
「何がって……」
自覚がないのか。酷い顔をしている。
「うちまで送ります。それより飲みに行きますか。どっちでも」
俺は言った。佐久さんはかぶりを振る。
「そんな、いいのよ。気を遣わせてゴメン」
「いや。そういうんじゃなくて」
普段、優しくしてもらってる分、こういう時こそ力になりたかった。ぼろぼろの彼女を一人で帰したくない。俺は引かなかった。
「とにかく送ります。タクシー拾いましょう」
「大丈夫だってば、心配性だなあ。じゃあお言葉に甘えて、電車でね」
困ったように笑い、佐久さんは折れた。
電車は混んでいて座れない。やはりタクシーにすれば良かったと後悔していると、ドア口の手摺りに持たれていた佐久さんがポツリと呟いた。
「ほんとだ、酷い顔してるね、私」
電車のドアの窓に姿が映っている。俺はかける言葉に迷う。
「カッコ悪いね、いつも殿山くんにはしゃんとしなさいって口を酸っぱくして言ってるのにねー」
泣き笑い。
「……そんなことは、ないです」
俺は俯いた。佐久さんの細い肩が見える。
そこで駅に電車が滑り込み、乗客を吐き出し、より多くの人が車内になだれ込んできた。俺は背を押され、佐久さんとの距離を詰める。
懐に彼女の身体を包み込む形になった。密着する。
俺は動揺した。佐久さんの柔らかい身体が押し当てられる。なんていい匂いーー。いきなりのことで、動悸が……
「……」
佐久さんが息を詰める気配がした。俺の肩に額を押し当てる。
俺はわざと電子広告を見上げた。そして彼女にしか聞こえない声量で
「泣かないで……」
と言った。
佐久さんはぴくっと身を硬くして、黙った。ぐす、と湿った音が胸の辺りから聞こえた。
泣かないでください。佐久さんにそう囁きながら俺は、心の中で「泣いてもいいよ、泣いていいんだよ」と繰り返していた。
佐久さんの背をさすりながら、俺は電車のかすかな振動を感じつつ夜を征く。
俺がこの人を大事にしたい。守りたいと心から思った瞬間だった。
#泣かないで
お付き合いの前の二人です
「紅茶の香り6」
11/30/2024, 11:07:46 AM