「こっちこっち」
狐のお面を被っている子がこちらに手招きしている。
おいでおいでと誘っている。
深い山奥。
狐のお面を被っている子は、きっと少女だろう。
少女についていくと知らぬ間にこんな山奥に来てしまった。
後ろを振り返っても道はなく、帰り方さえわからない。
もうついていかない方が…。
頭では分かっているものの、体はついていきたがっている。
自然と引き寄せられて足が止まらない。
「こっち、もう着くよ」
可愛らしい声が私を呼んだ。
微かにお祭りのような音がする。
近づくに連れ、美味しそうな匂いがしてきて私の腹がなる。
「美味しいものが沢山あるよ、あとちょっと」
どうにも食欲には勝てないようで、私の足は次第に早くなる。
「あそこに行く」
顔を上げると、少女が暗い林の向こうを指さしていた。
「どうしてあんな所に行くんだ?」
「丁度中間なんだよ」
私の質問は答えられることは無かった。
薄気味悪い林を抜けると小さな鳥居が一つだけあった。
「この鳥居をくぐるの」
そう言うと少女は少しかがんでくぐった。
私は四つん這いにならないと、とてもじゃないけどくぐれない。
躊躇っていると少女はまた手招きして、こっち、と言った。
不思議な事に直ぐに四つん這いになる決心がついて、頑張って鳥居をくぐった。
「あそこだよ」
くぐり終わると少女は視線で示す。
そこには、さっきよりも暗い林があった。
体力も限界になっており、ペースは落ちたが無事に林を抜けた。
林を抜けるととても明るくなり目の前には立派な鳥居が構えていた。
その鳥居の向こうには楽しげに踊る、動物の仮面を被った人達がいた。
私が早速入ろうとすると、何処から出したのか、少女は私に狼の仮面を渡してきた。
そして一礼して鳥居をくぐり私に真似するように言ってきた。
言われたとおりに真似をして鳥居をくぐった。
瞬間、少女は私の手を掴んで引っ張ってくる。
それからしばらく手を掴まれていたが、その間、一言も言葉を交わさなかった。
ようやく私の手を離したのは人気の無いもう一つの鳥居の前だった。
「折角来たのに」
そうつぶやくと少女は笑いながら言った。
「ここで踊るの」
それからは有意義な時間を過ごした。
時間を忘れるくらい踊って気づけば音楽は止まっていた。
「これ、飲んで」
渡されたのは透明ななにか。
その液体が何だったのかはわからない。
ただ、美味しかったのは覚えている。
どんな容器に入っていたかもよくわからないがきっとペットボトルだったのだろう。
渡される前は驚いた。
少女は何も無い空間を掴んでおり明らかに手にしていない真っ白なキャップだけが空中に浮かんでいたのだ。
触ってみると確かに実体はあった。
私が飲み終わると少女は殻になった容器を取り上げ、私を鳥居の外に出るよう誘導した。
鳥居の外に出ると何事もなかったかのようにすべてが消えていた。
仮面以外は。
不思議と足取りは軽く、直ぐに家に変えることが出来た。
それからは、どんなときでも必ず頭の片隅にあの少女の顔とその時の出来事が浮かんでくるのだ。
あの時の事が一瞬のように思えてならない。
また行きたい。
しかし、どんなに願ってもあの時以来一度もあの少女が来たことは無い。
他にも一瞬のように思う時は山ほどあったが、あれほど楽しいと思う事はもう無いのかもしれない。
これからの人生、長いように思えて一瞬だと考えると少しだけ悲しくなってくる。
ー刹那ー
4/29/2024, 12:36:31 AM